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マラソン大会と、多様性という名の均一性

 とある少女の学校で、マラソン大会の試走が始まったらしい。
 去年までは、女子は女子、男子は男子で競っていたが、今年から女子男子関係なく、学年全員で競うことになったらしい。
 最初の試走があった日、ランドセルを下ろしながら、とある少女がわたしに言うには、
「一体どれぐらいを目標にしていいか、ぜんぜん分かんなかった」。
 スポ少で鍛えてきた男子たちがいると、ペースが全然つかめないそう。
女子のそこそこ速い層からすると、順位も落ちるし、何となく不満ならしい。

                 ☆

 勉強や美術、音楽はどの科目でも男女いっしょに競っていて、中学校ぐらいまでの学校の成績の平均値はおおむね女子のほうが高そう(?)だから、マラソンでは、男子の、身体能力の高い人たちが脚光を浴びるのも、フェアじゃない、とは言えない。
 運動能力が軽視される女子の文化において、こういう状況が女子の闘争心に火を付けるかもしれず、女子だからダメに決まっている、不公平だ、と決めつけるのは早すぎるとも思う。
 スポーツの世界でも、単純にパワーや大きさ、競技経験の長さだけに頼っている子は、その後、頭を使ったプレーに移行しづらかったりする。不利な状況は決して本人にとってマイナスなだけではない、とも思う。こういう混乱は、きっと女子を立派にする面もあるだろう。ただ、そこを上手く導いてくれる先生がいてほしいとも思うけど。
 でも、今の世の中は、そこを自力で乗り越えようとするのを、大人が塾や教室に連れて行って邪魔をするような世の中であるという気もするので、そんな先生もいてもいなくても良いのかもしれない。
 そもそも、わたしたちは「男性はみんな自分より身体能力があらゆる面で高い」みたいに思い込みすぎているところもある。大昔、大学の部活で「寒中マラソン」なる行事があって、走ってみればわたしより遅い男子はたくさんいて、とてもびっくりしたことがあったっけ。偏見だけど、男子は極端な人が多かった。
 何より、競争だけに執着しない心は大事だし、負けると人は視野が広くなるし。

                 ☆

 先日、プロ野球好きの、おしゃべりな、とある若者が、クラスの女子の好きなプロ野球球団について語っていた。へぇ~、と少し驚いた。わたしの女友達がプロ野球のことを日常会話として話すのを、聞いたことがなかったからだ。
 わたしの出身高校では、昔、男子クラスと女子クラスに分けられていて、高校時代、わたしは清らかにも、男の人と話をしたことが一度もなかった。クラスでの会話は、何より読んだ少女漫画のこと、小説のこと、テレビ番組のこと、友達の噂話、あとは真面目な話がおもだった。
 わが家は姉二人の三姉妹、父は海外出張でほとんど家に居なかったので、わたしの世界には人格を感じるほどよく知った男性というものが一人もいなかった。だから、結婚してしばらくして、夫の言動が、なんでそうなっちゃうの?ということだらけだったけれど、多分、カルチャーショックもあったんだと思う。男の子を産んで育てて、やっとそういうのが理解できるようになった。
 そんなわけで、わたしの世界にはプロ野球はなかった。とある若者の担任の先生は、よく授業やHRでプロ野球の話をするらしいが、女子クラスに来て、わざわざプロ野球の話をする先生はいなかった。
 クラスに男子も女子もいろいろいるということは、それだけで情報の種類が増え、知識の裾野が広がるのだと思う。いいことだ。

                ☆

 ただ、少し引いた視点から見て、これをもっと、日本全体とか人類全体とかで考えたとき、どうなんだろう? とも思う。
 わたしの勤めている高校は、女子はクラスに0人~2人というほとんど男子だけの世界である。彼らはお互い同士、やり込め合ったり、侮辱し合ったり、からかい合ったり、そこまで自己開示して後から恥ずかしくならない?というようなことまで大声で話しちゃったり、見ているわたしは内心、ハラハラの連続である。
 似たような人たちの集合体なので、集団を中庸に戻す機能が薄く、みんなが極端に流れて行って、騒ぎや睡眠時間になってしまうことも多々ある。
 ああ、ここに女子が10人でもいてくれたら、もっと授業がしやすいのに、と思うことも多い。生徒たちもお年頃なので「あー、女子としゃべりたい。」とか、「女子ならどんな女子でもすごく可愛く見える」とか言って、女子を欲している。
 では、この不思議な男子高校生ワールドは望ましくない、消えていくべきものなのか、というと、どうなんだろう。

                ☆

 実際、近年、こういう学校はどんどん生徒数が減ってきている。伝統あるこの学校も、ひょっとしたら、そのうち、どこかと統合されてしまったりするのかもしれない。そうでなくても、わたしや生徒たちが軽々しく望むように、より多くの女子が入ってきて、今の不思議な少年たちの世界は、内部から消滅していくのかもしれない。個人のレベルで見るとその方が、バランスがとれて良さそうかもしれない。
 でも、と、思う。
 日本中の高校が、みんな普通の男女が揃った、均質な世界になったら、どうなんだろう? 若い人たちが将来作り出す社会は、退屈なものになってしまわないだろうか。出会いの化学変化的なものは起きず、ただ、蛇口から出た水が、洗い桶に溜まっている水に、何の抵抗もなく、何もなかったかのように混ざっていくだけの世界になったら……。
 絶滅危惧種の彼らは、端から見るにとても魅力的だ。そして、何より、本人たちがとても楽しそうだ。こんなに楽しそうな彼らが、日本に、世界に、必要ないなんてことがあるのだろうか?どうなんだろう??もし、彼らがいなくなったら、少なくとも少年漫画は面白くなくなりそうである。
                ★
 と、日々思いながら、観察しているわたしです。ほとんど文化人類学の世界だなあ、と。誰か早めに研究しないと、本当に無くなっちゃうかもしれないですよ?
 NHKさんとか、「新日本風土記」みたいな映像を撮っておいた方がいいかもしれませんよ?

 

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