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良い子がいい子とは限らないのに

学校の先生は、校則をきちんとまもり、授業には積極的に参加し、先生とのコミュニケーションにも長けているような子を良い子と判断するものだと思う。

当然だ。学校の先生という職業は、ルールを守れるように、勉強ができるように、誰とでも仲良くできるようにを教え込んで社会に出すのが仕事だと考えていると思われるからだ。

だから、学校の先生は、それを遂行していればいい。それ以上を期待してはいけない。

でも、校則を守らず、授業にも積極的に参加せず、先生に好かれそうなコミュニケーションがとれないわが子のことを、わたし以上に理解しようと考えている人はいないであろう現実に直面すると「学校なんか行かないで、ママと一緒にいればいいよ」と思わず言いたくなってしまう。

わたしは、学校に対してあまりいい印象がなく、学校で学べたと思えるものがあまりないのがコンプレックスだから、わが子にはそんなコンプレックスを持ってほしくないと思っている。

わたしのような大人になると社会にでたときに苦労するから、少しでもいい学校に行って、いい会社に就職できるようにとわが子に伝えているのにもかかわらず、わたしからのプレッシャーを感じて無理して学校に行き、先生からは疎まれているのかもしれないと思うと「学校なんか無理して行かないでも大丈夫よ」という言葉がこぼれそうになってしまう。

もしも、わたしが生まれ変われることができて、正反対の子供時代をやり直すことができたならば、どんなことを考えてどんな生活を送っている50歳になっているのか。
(幸せだと思えている現在よりも、幸せなのだろうか。。。)
両方経験する中で得られたものがあれば、子どもに的確なアドバイスができそうなのに、笑。

もちろん、そんなことは机上の空論なので、現実には学校に満足に行かなかったことを後悔しているだけだから、なにを子どもに伝えるべきなのか、なにを伝えたらいいのかを悩みながらの子育て(人育て)になってしまう。


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