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「島根県」は消滅するとかしないとか

21世紀になったのに、時計の針は完全に中世に逆戻り。
とうとう「エビデンスなど不要」という論調まで登場する始末。「客観的なデータ」より、「主観(自分の肌感覚)」のほうが重要というのです。

彼らは、人類が長年にわたってコツコツと積み上げてきた「進歩」を土台から突き崩すつもりのようです。

「主観」がどれほど当てにならないかは、理系の人間でなくても容易に理解できるはず。例えば、法律の世界では、もっぱら「目撃証言」や「(時には拷問による)本人の自白」に頼って有罪・無罪を判断していたのをやめ、「客観的な証拠」に基づいて審理するようになりました。

膨大な数の「冤罪被害者」を生んできた反省から、過ちや悲劇を繰り返さないようにするためです。

「客観」を無視して「主観」を優先することは、そうした反省をかなぐり捨て、またも同じ失敗を繰り返すことを意味します。

「エビデンス不要説」は、間違いなく文系人間の発想ですね。
発達し過ぎて(自分の頭では)理解不能となってしまった「科学全般」に対する反動で、逆側に振り切れてしまったのでしょう。

でも、文系は文系なりに「客観性の大切さ」はわかるはずですから、そんなことを言い出す輩は、文系の素養すら皆無(要するにアホ)であることは間違いありません。

そんな文系的素養にも理系的素養にも見放された哀れな人間の代表が島根県知事ですね。いまだに職員に意味のない「マスク着用」を義務付け、悦に入っているそうです。

こいつに諫言できる優秀な幹部職員は、島根県には一人もいないようですね。私が島根県職員なら、今すぐにでも辞表を書きます。
だって、お先真っ暗、「将来性ゼロ」の救いすくいようのない組織ですもの。数年後にはお隣の鳥取県(広島県のほうがいい?)に吸収合併されるのがオチです。

科学的根拠がかけらもないのに、トップの「思い込み」だけで施策が決められるなんて、恐ろしいにも程がある。

来年の夏も猛暑が続き、水不足が深刻になれば、島根県ではいよいよ県を挙げての「雨乞いの儀式」が盛大に行われるでしょう。太鼓が打ち鳴らされる中、男女が全裸で井戸の周りで踊るような。
そして、そのイベントには、全職員が参加を義務付けられます。
それでも雨が降らなければ、知事は職員に「幼子の生贄(いけにえ)」を差し出すよう命じるでしょう。乳幼児を育てる職員は要注意!

決して冗談ではありません。
「マスク着用」と「雨乞いの儀式」は、まったく同じ行為。どちらも「エビデンス(科学的根拠)」がまるでないにもかかわらず、トップが妄信すれば、それに従わざるを得ないのですから。

島根県の皆さん、今マスク着用に抗議しなければ、来年か再来年の夏には、大事な息子や娘を生きたまま空井戸に投げ込むハメになりかねませんよ。


さて、私はひと足先に、手持ちの日本地図の「島根県」の文字を塗りつぶし、県境をサインペンでなぞって鳥取県と合体することにしますね。
よろしければ、皆さんもどうぞ。

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