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「忠臣蔵」に絡めて

旧暦の12月14日は、皆さんご存じのとおり

「忠臣蔵 吉良邸討ち入り」

の日でした。


一連の騒動は、播州・赤穂の浅野内匠頭が、事もあろうに殿中(江戸城内)「松の廊下」で吉良上野介に切りかかるという刃傷沙汰を起こした件に端を発します。なぜ浅野が短慮も甚だしい蛮行に及んだのかは、歴史の闇に埋もれてしまい、今となっては誰にもわかりません。
研究者がさまざまな持論を述べていますが、ともあれ「喧嘩両成敗」が当時の定法だったにもかかわらず、浅野は即日切腹、お家取り潰し、吉良はお咎めなしという幕府の「偏った裁断」が遺恨を生み、後の討ち入りへとつながっていくことになります。

吉良方も警護の侍を多数そろえていたとはいえ、寝静まった真夜中に完全武装の四十七士が奇襲攻撃を仕掛けるなんて、ある意味、卑怯ともいえるやり方です(話は全然違いますが、戦隊ヒーロー物の「正義の味方5人vs怪人1人」の構図を見ると、ちらっと同じような感想が湧いてきます)。
それでも赤穂浪士が「庶民の英雄」になり得たのは、「忠義」よりも何よりも、「幕府の偏った裁定」に対する不平不満が根底にあったからだと考えます。

「あっぱれ主君の敵を討った」ことではなく、「権力による不公平を命を賭して正そうとした」行動に、人々が共感するのです。また、1年9か月に及ぶ浪士たちの臥薪嘗胆・艱難辛苦が、よりいっそう物語のカタルシスを高めています。


人間が「不公平」「アンフェア」に対して激しい憤りを覚える生き物であることは、幾多の心理学の実験でも明らかになっています。
つまり、安定的な集団生活を営むうえで、「公平であること」が何よりも重要であるということです。
我欲のためにアンフェアな振る舞いを繰り返す者には、いずれ必ず強烈な社会的制裁が下ります。吉良上野介のように寝首を掻かれることになるでしょう。

というわけで、「喧嘩両成敗」「痛み分け」というのは、社会の安定を保つために極めて合理的なシステムなのですが、一神教の二項対立には、そうした配慮はありません。
「黒/白」「善/悪」「敵/味方」の二者択一では、必ず勝者と敗者が生まれ、報復の応酬が延々と繰り返されます。3つめの選択肢である「歩み寄るより余地」が存在しないのです。

なので、日本が「政権交代可能は二大政党制」と目指そうとし始めたとき、私は「絶対に失敗する」と反対しました。
「二大政党制」なんて、むしろ国民の分断を招くだけで、「多様な意見を包含する」はずの民主主義の否定でしかありません。
それでも、メディアに登場する評論家・文化人は口をそろえて、「欧米型の二大政党制こそ理想である」と褒めそやしました。実際は、その当時でさえ、すでに欧米諸国でも二大政党制がまともに機能しなくなっていたのに。
そしてまた、残念ながら、評論家どもの誤った言説が社会にあっさり受け入れられることもわかっていました。

深く物事を考えられない人たちには、「黒か白か」ほど単純明快なものはありません。多くの意見を一つ一つ吟味しなくて済むからです。現実世界は、黒と白の間に広大なグレーゾーンが広がっているというのに。
おかげで、「政治は難しいけど与党vs野党なら理解できる」と、社会をわかったつもりのおバカ有権者ばかりになってしまいました。

二項対立の行き着く先は、けっきょく「好きか嫌いか」になってしまいます。論理ではなく感情が支配する世界です。
そのあげくが、今の世界の目も当てられない落ちぶれようです。


最近の動向を見ると、同じ二項対立でも、この3~4年間の「マスクする/しない」「ワクチン打つ/打たない」といった国民同士の「縦の分断」から、権力者と一般庶民を分かつ「横の分断」に変化してきています。
こうなると、論理より感情が優先する庶民の不公平感が強まり、攻撃の矛先が「敵」である権力者に向くようになります。

政治家・官僚・専門家・メディアは、彼らにとっての吉良上野介となるでしょう。いずれ四十七士の討ち入りがあるものと覚悟を決めておく必要がありそうです。

あら楽し 思ひは晴るる身は捨つる 浮世の月にかかる雲なし 


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