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「カッパのミイラ」と「マスク」



日本各地に

・カッパのミイラ

・人魚のミイラ

・鬼の手のミイラ

なるものが伝わっていて、お寺や神社に祭られています。

もちろん、鬼も人魚もカッパも想像上の生き物なので、ミイラの大半はどれも精巧な「作り物」(一部、奇形を生じた本物の生物もあり)なのですが、保管している社寺は、研究者が分析を申し出ても依頼を必ず断ります。

これが私には不思議でならないのです。

きちんと分析した結果、

・「本物」であるなら、「ご神体」としての価値が爆上がりし、連日拝観者が押し掛ける事態となるでしょう。
それ以前に、生物学を根底から揺るがす大発見ですから、人類にとって多大な「財産」となります。

・「偽物」であるなら、お参りする人は「まがい物」に向かって手を合わせていることになります。これが神仏に対する冒瀆でなくて何でしょうか。
即刻お祭りするのをやめ、「工芸品」として博物館でも寄付するべきです。
キリスト教的にいえば、「神であらざる者(=悪魔)」を崇拝するような行いです。

つまり、正体不明の怪しげなミイラなら、科学的分析に供して正体(真実)を明らかにすることはメリットばかりなのですが、どういうわけか、どこの住職さんも神主さんも嫌がります。

結局のところ、正体(真実)が明らかになるのを恐れているのです。

もし「偽物(作り物)」だとなったら、話題性が薄れ、参拝者(お賽銭)が減ってしまう……要は「金の計算」ですね。でも、そうはハッキリ言えないので、一様に「ロマンがなくなる」といった、よくわからない言い訳をかましてくれます。

カッパや人魚が実在することは、果たしてロマンなのでしょうかね?

また、分析を拒否するということは、自分自身がそうしたミイラを信じていないことの如実な証明です。
もし「本物」だと思っているなら、進んで分析に協力し、「科学的裏付け」を欲するはず。それをやらないということは、自分でも「こりゃ偽物だ」と、よく理解しているということです。

まとめると、お賽銭欲しさに「インチキ」を続けているということです。法律的には、ほとんど詐欺行為です。



さて、この理屈は、今なお続く「マスク信仰」へとつながります。

マスクに本当に感染予防効果があるのか。

真実を知りたければ、きちんと設計された実験・観察を行わなければいけません。とはいえ、それに近い研究は世界中で行われていて、どれも同じ結果を得ています。

●マスクには何の効果もない

それどころか、より感染を広げたり感染者が重症化する、非感染者であっても精神的・肉体的に有害である、といった「弊害」が次々と発表されています。

これは「ミイラの正体」を突き止めるのとまったく同じことなのですが、「マスク信者」はそうした分析をとても嫌がります。
科学的分析は、「マスクは感染から身を守ってくれる」という彼らの「ロマン」「ファンタジー」をぶち壊してしまうからです。

彼らにとっては、「真実」なんかはどうでもよく、自身の「信仰」を守り抜くことこそが第一義。
何しろ、「マスクが感染を防いでくれる」ことに熱い「ロマン」を感じているのですから。

しょせんは「作り物」のミイラがカッパ、人魚、鬼でなければならないのと同じで、マスクは「聖なる黄金の盾」であり続けなければいけないのです。

だから、

・マスク真理教(あるいはコロナ真理教マスク派)

・マスク信者

と呼ばれるのですよ。



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