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「言論統制」は「人類滅亡」の最後の一押しになりかねない
先進国では「ネットの取締り」を強化しようという動きが進んでいます。
「パンデミックごっこ」による「ワクチン(もどき)強制」や「国民総監視」が計画どおり進まなかったのは、ネットで「偽情報(つまり真実)」が拡散してしまったからと考えているようです(自分たちがさんざんウソをついてきた過去ツイートや証拠動画まで残っちゃっていますしね)。
この世の中に「絶対的真実」は、ほとんどありません。どんなに正しく思えても、それはその時点での「暫定的真実」にすぎず、その後の知見によって180度修正された例はいくらでもあります。
軌道を修正し過ちを正すには、やはり数多くの意見と議論が必要です。つまり「多角的視点」で物を見るということ。そうした「多様性」こそが、社会を健全に保つためには必要不可欠なのです。
自分たちに都合の悪いからと、一方的に「偽情報」と決めつけ議論を封じてしまえば、軌道修正が行われず、自浄能力を失い、その社会はあっという間に崩壊します。
「取締り」を推し進めたい権力者側は、ヘイト発言やネットリンチのような(数少ない)不幸な例を持ち出し、「一事が万事」のように主張しますが、ここでも大事なのは統計の「母数」。
一つの不幸な例の背後には、その数百倍、数千倍の「ネットの情報により救われた事例」が存在します。メリットとデメリットを天秤にかけ、全体を総合的に勘案したうえで、「自由な発言」をどこまで許容するのかを考えなければいけません。
簡単に答えの出る問題ではありません。おそらく永遠に「正解」にたどり着くことはないでしょう。それでも試行錯誤を繰り返していかなければいけないのです。
手っ取り早く「発言を封じる」のは、最も愚かな解決法です。そして、頭の悪い人間ほど「簡単な答え」に飛びつきたがります(答えの出ない問題を考え続けるだけの頭脳がない)。
「三人寄れば文殊の知恵」。大勢が知恵を絞れば、ある程度の妥協点は必ず見つかるはず。「言論統制」は、その可能性すら摘んでしまいます。そこで文化の進歩は止まり、あとは衰退していくのみ。
『その場にとどまるには走る続けなければいけない』
『動的平衡』
という概念を、しっかり理解する必要があります。
「ネットの取締り」は、はっきり言えば、権力者どもの「責任のなすり合い」です。
ちょっとでも物を考える力があれば、科学に真っ向から逆らう「パンデミックごっこ」が永遠に続くはずがないのは簡単にわかります。
ところが、権力者の中枢に居座る連中は、「俺のアイデアは最高!」という(バカ典型の)うぬぼれが強すぎて、失敗する可能性をまったく想像していませんでした。
なので、うまくいかなかった責任を部下に押し付けようと躍起です。
「俺様の天才的アイデアに非の打ちどころなんかないんだから、失敗したのは全部おまえらのせいに決まってる!」
押し付けられた部下も、「いやぁ、こんなの初めからムリだったんすよ~」とは言い返せないので、何とか口実をひねり出します。
それが「ネットの取締り」です。
うまくいかなかったのは、「パンデミックごっこ」の発想自体がイカれていたからではなく、ネットで「誤情報(実は真実)」が出回ったからで、それを抑え込んでしまえばいい。
これなら、「自己保身」にたけた権力者連中の誰も責任と取らずに済み、ついでに「抵抗勢力」を一網打尽にできるというしだい。一挙両得、一石二鳥。
これもまた(バカ典型の)思い上がりで、そんなことをしたらどんな影響が出るかを、まったく考えていないようです。
繰り返し指摘しているように、「言論封殺」によるフラストレーションは、簡単に「暴力」へ転換します。無差別殺人、テロ、暗殺、内戦、やがては本格的な戦争に突入……権力者たちが手中にしようとした(自分たちがその上にあぐらをかける)「安定した社会」そのものがどんどん失われていきます。
また、柔軟性を欠いたシステムは早晩、「システムを維持」すること自体が目的になり、権力者も「システムの餌食」と化します。
どんなに権力の中枢にいても、ちょっとしたミスでそこから外れたとたん、たちまち自分がつくり上げたシステムに囚われてしまうのです。
彼らの部下は、もはや主人に対する忠誠はなく、「システムに貢献する」ことに夢中。けっきょくは「権力を守る」ためのシステムのせいで、自分の首を絞めることになるのです。
歴史を振り返れば、そうした前例が山のように見つかるはずです(そんな知識すら持たないところが権力者の愚かさ)。
ただし、前例と違うのは、これが局地的・限定的ではなく、世界規模・全人類規模で行われるおそれがあることです。
そうなれば、最終的に全人間が「実体のないシステム」の奴隷となり、滅亡へと突き進んでいくでしょう。
かくして人類は、その愚かさゆえに絶滅する
ざんねんな生き物
となるのかもしれません。
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