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「感染対策」をやめるのが最高の「感染対策」

科学的根拠の有無にかかわらず、ある教えを固く信じ、実践する人のことを一般的に「信者」と呼びます。

マスクには感染予防効果はまったくありません。

これは疫学研究でも明らかな事実ですし、その機序は単純な物理法則で説明できます。
いまだにマスクの「(ありもしない)ご利益」を妄信し、しがみつき続ける人を「信者」と呼ぶのは、言葉の本来の意味からも正しい表現なのですが、どういうわけか「マスク信者」の方々は、我々のことを「反マスク信者」と呼びたがるようです。

言葉の意味をまるで理解していないのでしょう。
理系の知識もなければ、文系の素養もなし。
「マスク信者」は、権威や肩書におもねることで権力者に気に入られようとする「有象無象の輩」にすぎません。


我々は別に「反マスク」を信奉しているわけではありません。単にマスクの効能といわれるものを「科学的に」否定しているだけです。
キリストの教えを信じる人を「キリスト教信者」といいます。では、キリスト教を信じない人を「反キリスト信者」と呼びますか?
それと同じで、「反マスク信者」なる概念自体が、この世に存在し得ないものなのです。

「マスク信者」は、オリジナリティも語彙力も致命的に不足(つまりはバカ)しているので、相手に言われた言葉にただ「反」をつけて言い返すのが関の山。
そもそも「反○○信者」という言い方は、裏を返せば、自身がまさに○○の熱狂的信者であることの証明です。
信仰を一(いつ)にしない相手をひとくくりに「異教徒」扱いしているのです。


さて、皆さんも、北陸の被災地の話を聞くたびに胸が締めつけられるような気持ちになるでしょう。何かできることはないかと、歯がゆい思いもされていることでしょう。
一部の人々が記事に書かれたり実行されているように、恐らく一番いい方法は

被災地へのふるさと納税

でしょう。
寄附金・義援金は、誤解を恐れずあえて酷い言葉を使うなら、一種の「施し」です。でも、ふるさと納税なら、自治体の裁量しだいで本当に困っている現場に充てることができますし、こちらも返礼品をもらうことで「施し」ではなく「対等な取引」になります。これは被災者のプライドを傷つけず、モチベーションを上げるためにも有効です。返礼品を出荷する地元企業の経営支援にもなるでしょう。

反対に絶対やってはいけないのは、

・間違った同情心から活動を自粛(ただし、大阪万博は即刻中止すべき。これは「イベントの自粛」ではなく、限りある労働力と資材を復興に振り向けるという現実的な理由から)

・自民党などの政党を通じた寄付(本当に被災地・被災者に渡るか疑わしい)

そして、極め付きが

・被災地にマスクを送ること

この大変な状況下で、やれ「感染症が流行」だのと、いまだに「コロナ煽り」「感染症煽り」を続けるメディアを見ると、心の底から怒りが湧いてきます。目の前にキャスターがいたら、力いっぱい殴りつけてしまいそう。

避難所で感染症が流行する最大の原因は、「ストレスによる免疫低下」です。マスクもアルコール消毒も、クソの役にも立ちません。
なぜなら、原因菌やウィルスは、常日頃から我々の身近に存在するものだからです。
通常の状態なら、そうした菌やウィルスが体内に入ってきても免疫がきちんと対処してくれますが、親しい人を失い、強い余震が続く中、避難所で不便な生活を強いられ、明日からの暮らしをどうしていけばいいかという不安を感じていては、免疫が健全に働くはずがありません。
この上、口うるさく「マスクしろ」だの「消毒しろ」だの「換気しろ」だの言われたら、ますますイライラが募って免疫が低下し、感染症を発症しやすくなります。

「誤った感染対策」こそが感染を広げている張本人です。

人は自分の意に反して何かを押しつけられることに強いストレスを感じるようにできています。何事も強制せず、できる限り個人の自由を尊重してほしいと願わずにはいられません。

ましてや、そんなところにマスクを段ボールで送りつけようなんて、極めて悪質な嫌がらせ以外の何物でもありません。

被災地は在庫廃棄場ではありません!!






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