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寒オリオン・俳句6句とエッセイ

一月 俳句6句



窓枠に動かぬ景や冬の雨

決心をあとへあとへと毛糸編む

寒林の一部となれば沈黙す

傷ならば色々とある冬薔薇

冬帽の遥かな上を鳥一羽

寒卵もうひと眠りの重さかな





俳句&エッセイ 寒オリオン


眉間より我を洗いぬ寒オリオン


我が家には新年は来たけれども、正月はまだ来ていない。

何故と言って、まだ雑煮を食べていないからだ。

昨年末25日にケーキを買いに行った主人が、帰ってくるとひどく咳き込んだ。
そのケーキ屋は、この辺では知る人ぞ知る安くて美味しいケーキを、変わり者のぶっきらぼうな店主が一人で作って売っている店で、そこのケーキはボリュームも大き過ぎないし、シンプルで、もう小さい子のいない我が家のクリスマスにちょうど良い。
だが午前10時に開店しても、午後の早い時間にはもう売り切れてしまうから、開店と同時に行くのだと主人が張り切っていたのだが、10分くらい前に着いてしまうと、すでに店の前にはもう数人が並んでいるので、自分も車を止めて、並んだのだと言う。

運悪く凍り付くような突風が吹いている日で、短い間でも、小躍りするような寒さだったらしい。ケーキを下げて帰宅した主人は、盛んに咳き込み、いつまでたっても治まらないから、風邪をしょい込んでしまったのではないかと心配になった。

暫くすると主人が熱を測っている。
8度近くあったらしい。

「熱があるな」
「えっ?熱?」

「風邪をひいたかな」

いくらなんでも、ケーキ屋へ行くまでは、咳も出なかったのだ。カゼのカの字も意識していなかった。ものの30分くらいでケーキを買って帰宅して、寒かった、風邪を引き込んだ、咳が止まらない、と言うのはわかるとして、そんなにすぐに熱まで出る、というのは何か腑に落ちない。

もしやもしや、コロナではないのか、と思ったら図星であった。

ここからが大変であった。
主人は、フロアの違う、亡くなった主人の母が住んでいた場所をそのままにしてあり、その一室を事務所のように使っていたのだが、そちらは暖房もあるし、寝具などもあるので、そこで療養することになり、私は三度の食事を一階へ運ぶのみ、主人とは接触しないこととなった。

自分は二年前に大病して手術、いまだ薬物治療中であり、経過観察中の身である。(しかし現在の状態としては、基礎疾患ありには該当しないのである)。
呑んでいる薬は、女性ホルモンを抑えるので、血栓が出来安かったりすることがあると循環器の医者に言われている。
ご存じのように、高齢者がコロナで重症化する要因の一つに、血栓が出来てしまうことが挙げられている。

これは怖い。
(ほとんど)高齢者で、血栓の出来易い薬を常用していたら、コロナも重症化し易いというハンデがあると考えても不自然ではない。

おまけにこれからは正月休みで、辛うじて主人は年末最後の診療に間に合ったが、これからあとは、巷の発熱外来はほとんど機能しなくなる時期だ。
感染して万一おかしな成り行きとなった時、受け入れてくれる医療機関があるかどうかわかったものではない。
ハンデとタイミングの悪さを思うと、気持ちが萎える。

何としてもここは移らずに済ませたい。


しかし?

あああ、昨日は主人と二人で大掃除。主人も非日常的に家中の色々なものを触っているではないか。

そんなことより、もっとまずいのは、

主人は「うどん」を作ることが趣味と言ってもいいほどに好きで、丁重にお断りはするが、真夏でも温かいおつゆのうどんを作りたがるくらいなのである。
冬ともなれば「うどん食べる?」が頻発し、昨日も私は主人の作ったうどんを、掃除の合間に食べてしまっているではないか!

絶体絶命。

しかも同じ日に間近に住む息子から電話があり、なんと9度の発熱だという。
仕事で遅いことも多い息子には、平日のみ私が夕飯を作っておいて、彼がそれを取りに来る、という生活が続いている。
こちらで作った食事に菌が入っていたのだろうか。

これでは私が発症するのも時間の問題でしかないかもしれない。

そうしたら皆の食事はどうなるのだ?
誰が作るのだ。

しかし考えていてもしょうがない。とにかく皆と自分を心配しつつ、出来るまでは出来ることをするのみである。


やがて息子の方は、なんとA型インフルエンザだったことが判明。ほぼ同時に発熱するとは、いやはや。

とすれば濃厚接触者である私が彼の食事を作ると、今度はコロナが彼に移る可能性も出てくるので、息子は主に今流行りのウーバーイーツや出前館などを使って凌ぐこととなった。


頑健で体力のある主人は、幸い典型的なオミクロンの症状で、熱は8度くらい、咳は酷かったが、他には深刻な症状は出なかった。
食欲も最初の日はあまり積極的ではなかったが、後は普通に食べられた。
特に鶏肉を主体にあっさりしたスープや汁気の多い煮物などの献立にしたのが良かったようで、熱があっても喉越しが悪くなかったせいか、すべて平らげてくれた。
兎に角、食べられるものならば、出来るだけ栄養を取った方が、やはり回復が早いのではないかと思う。

あとはもう、うどんを食べてしまった前歴があるとはいえ、残された私は、諦めずに家を消毒しまくった。

一寸先は闇、だからこうなったんだけれども、その闇に少しでも何か書き加えることができるものなら、やらなくてはならない。

特にキッチンには念を入れた。水道の蛇口、レンジのつまみ、冷蔵庫を開ける時に触りそうな場所、冷蔵庫の中、マーガリンやドレッシング、ジャムなどの瓶、食器戸棚の取っ手、ハッチのつまみ、あれもこれももう親の仇、という感じで消毒した。

あー疲れた、これで万全、と落ち着いて食事の支度などしていると、ふっと魔が差すように湧き上がってくる思いがある。
「ああっ、ガスレンジのつまみを忘れていた!!」
うどんを作っていた主人の手は、当然何度もレンジのつまみをつかんでいる。
今料理していて、私はこのつまみを何度触ったことだろう。

ここでどっと疲れが出て、もう立ち直れなくなる。
暫くは暗澹とした気持ちにぐるぐる巻きにされて、団子のようになっているのだが、またしょうがなくて動き出す。
疲れというのは、体力もあるが、こうした気持ちの揺れだの、張りだの、それらのあくなき繰り返しなど、そんなものの蓄積の方が、余程影響が大きいのではないだろうか。

セロテープを使おうとして、キャビネットの一番上の抽斗を開けると、ふと主人が先日同じことをしていた画像が目に浮かび、慌てて手を消毒して、抽斗も、セロテープも消毒する。

カーテンを開ける時、触る場所は大体この辺? 網戸を開ける時に触る場所はこの辺り? あっ、鍵 これは触るよね!

それでなくとも他にも、大掃除をしていた主人は、色んな所に触れている。
壁だの、洗面所だの、普段触らないようなところも触っているのだ。
一度考えだすともういけない。家中のものが私に向かって立ち向かってくるようで、疲弊した。


電話サポートで、3日間経てば大体の物についていたコロナ菌は効力が無くなるということをアドバイスしてもらった私は、自分の無駄に豊かな想像力を呪いつつも、兎に角それまでは家中を消毒しまくって、何とか日々を先へ送った。

電話サポートの女性に、私は言った。
「消毒ノイローゼになりました」。
すると彼女は実感のこもった声で言った。「お察しいたします」。

4人に1人がコロナにかかっっていると言う。
おそらく彼女の家庭も同様の状況だったかもしれない。

私などは完全に違う空間に寝起きしていて、言わば残っている菌との戦いのみだから、これでも楽な方なのだろう。
部屋が別でもトイレや風呂など共有空間が同じというケースの方が普通だろうから、もっと神経を使わなければならなかった人が圧倒的多数であろう。
YouTubeで見た同様の立場の若いお母さんは、エプロンのポケットにアルコールの噴霧器を入れたまま一日中行動していて、ことあるたびにそこいら中、シュッシュしていたと、笑顔で明るく言う。
ううーん、持って生まれた性格か、年齢的なエネルギーの違いか、私は自分の「及び腰」的な行動パターンを省みずにはいられなかった。

さて主人が下の階に行って3日経ったのち、これで消毒の心労から解放されるのだと思ったら、何とも言えず体が軽くなった。
ヨハン・シュトラウスのワルツ、「美しく蒼きドナウ」、 あの曲の出だしの、あの浮遊感!
まさにあんな感じであった。

これからは何かに触ろうとするときに、弱い電流さながらな、ちょっとした緊張に苛まれなくてすむのである!

どこからともなく、ふんわりと柔らかな毛布のように、あのワルツの牧歌的なメロディーが私を包んだ。
そのなんとも脱力的な解放感は、しばしの間私から離れなかった。


そして4日経ち、5日経ち、6日経つ。

もしかして、もしかすると、大丈夫なんじゃない?
見通しの利かぬ崖っぷちを歩いていたと思ったのだが、いつの間にかに広々とした視界の利く道に出たような。

薄皮をはぐように、濃厚接触者である私のコロナ感染の可能性が薄くなっていった。
ケアマネの仕事をしている友人曰く、「発症前日にご主人の手作りうどんを食べて移らなかったのは、奇跡!」


やがてなんとかかんとか一週間が経ち、時は2003年に突入する。

家族3人がごく近い空間に居ながらにして、バラバラに新年を迎え、「あけおめ」などとラインしていたのはどうにも妙な感じであった。

しかし疲れが出たのか、新年2日にまたしても私は、よくやる膀胱炎になり、休日になった時のために貰っている抗生剤を呑んで凌いでいたのだが、その少し後に、ついに自分も発熱してしまった。

主人が発症してから10日ほど経っているし、熱も7度5分ほどなのだから、コロナではないような気がする。
咳もあまり出ない。ただそれほどの熱ではないのに、何かしようとするとその意欲が忽ち吸い取られてボーっとしてしまう。
熱というものは、人の意欲や意志を吸い取る触手のようなものを、ふんだんに持っているのではないか。食欲も無い。確かにいつもと違うけれども、主人の様子とはずいぶん違う。

でもこの状況では、検査をしないわけにもいかぬ。はっきりしないと、仕事が始まる息子の食事も作ってやれない。

折よく正月明けに始まっている内科もあり、私は主人がPCR検査をした発熱外来で、診てもらった。
結果は陰性。普通の風邪だったようである。

やれやれ、何とまあ、気を揉んだ年越しであったことか。


濃厚接触者は家から出られない。
正月の準備も、身動きがとれなかった。

辛うじてネットスーパーで年末31日に、いくつかのおせち材料と年越しそばの材料を取り寄せたのだけれども、自分が膀胱炎でいつものように抗生剤漬けになってお腹を壊し始めたので、おせちづくりは延期となった。

欠かしたことのなかった正月飾りもネットスーパーで買い忘れてしまい、玄関に飾るささやかなアレンジメントに使う花も、手に入れるすべはなかった。

そして、その後、すぐに普段の日々が舞い戻ると思っていたのに、夫婦が互い違いに再び体調を崩して、結局まだ万全ではないのだった。

自分は膀胱炎が一週間経って、治って、またかっきり一週間で、再発した。
また憂鬱な抗生剤の日々なのであった。

そして主人は痛風持ちなのであるが、今回起きた発作は日々一進一退で、中々良くならず、もう6日も寝ている。
ロキソニンを呑みっぱなしであるが、さほど効いているとは言えないようだ。
痛風の痛みは強いというから、こちらも気持ちが右往左往する。
寒いからと、足を保冷材などで冷やさずにロキソニンテープを張っていたのだが、今日になって我慢して冷やしてみたらと強く勧め、その結果少し良くなってきたようではある。

3人が普段の状態になったら、雑煮とおせち、と思っていたのが、思わぬ成り行きで延び延びになり、落ち着かない年明けとなった。
自分の体調も今ひとつのところへ家族の看病となり、普段の3度の食事の支度で精一杯であった。
そういえば、早くしないと節分はもう目と鼻の先ではないか!


家から一歩も出られない濃厚接触者の頃、消毒疲れと心配疲れでよれよれの布巾のようになっていた私を、唯一蘇らせてくれたのは、

毎日の仕事がすべて終わって、ベランダのシャッターを閉める時に見上げる、ぞっとするくらい冷たくて深い紺青の南西の夜空に、きっかりと位置を占めているいるオリオン座だ。

寒の星々の凄絶な光りかたは、生命から最も遠いものを思わせる。

しかし、その鋭利な無言の光に、眉のあたりから、洗われるようである。


そして私からオリオンへの、荒涼とした気の遠くなるような距離感。 
それが毎日の気づまりな閉塞感から、その時だけは、私を解放してくれた。


それは本当に、ほんの一瞬のことだったのだけれども。


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