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林檎 俳句とエッセイ、他秋8句


食べ尽くす林檎の中のしじまかな


林檎、梨、葡萄など秋の果物は大好きな私であるが、その美味に浸りながらも、ふと、秋の果実の味覚は、短調のメロディと同質のものを持っている、と思う時がある。

美味しいのに変わりはないのだが、
(たとえば音楽にも長調の旋律と短調の旋律があって、どちらが良いと言うことではなく、素晴らしい音楽は、どちらの調であったとしても素晴らしいように。)

秋の果実の味覚には、短調のメロディの持っているような、しんとした、幽かな寂しさのようなものが、どこかにあるような気がするのである。

それは秋の澄み切った大気の持っている、涼やかな透明感と同じ匂いがする。

「色無き風」という季語があるけれど、初めて知った時には、「なんじゃこれ?」と思ったものであるが、ある時、そうか、この秋の大気や風の、「透明感」のことを言いたかったのかも、そう思った。


そうした空気の中で実る果実は、やはりその透明な淡い寂しさを、どこかに孕んでいるいるのかもしれない。



秋 8句


流星や誰かを忘れていく途中


秋の暮襖の奥にまた襖

秋天に巨きクレーン届かずに

コスモスやいつまでも心を決めず

白菊や思い出せないひとの顔

柿深く沈めり空の青き肉

萩咲いて記憶のほつれていく夕べ

秋晴れて缶コーヒーは空っぽに








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