なんだかんだ多様になってきているなと感じるこの世界
多様性、多様性、マイノリティ、マイノリティ言うてますけども。
本当の意味で多様な価値観が受け入れられるにはまだまだ程遠いと思いながらも、そうは言っても自分が小学生だった10年~15年前と比べたらかなり多様な時代になったなあと感じる瞬間がいくつもある。
色んな価値観が受け入れられようになったし、色んな価値観を容認しなきゃいけませんよみたいな空気にみんながある程度従っている気がする。
理解した上で従ってるかは一旦置いといて、そういう空気感はここ10年で間違いなく醸成されている。
1番に思いつくこととしては、結婚や恋愛に関する価値観。
最近は結婚しないことや、恋愛を積極的にしない若者にかなり寛容な時代になった感覚がある。まだまだ若者は恋愛を楽しめみたいな空気感は確かにあるが、色んな人生の楽しみ方を世間が認めるようになった。
10年以上前は、恋愛に積極的ではない若い男が草食系男子と呼ばれ、ナヨナヨしていてキモイみたいなことが平然とそちら側が正義かのように言われていた時代だった記憶がある。恋愛にガツガツしてない=男らしくなく弱いみたいな雰囲気があった。
結婚に関しても、するのが当たり前。特に女性の幸せは結婚がゴールみたいな風潮はまだかなり幅を利かせていたように思う。今でもその風潮がないかと言えばそんなことはないだろうが、色んな幸せの在り方が男女問わず認められているような気がする。イクメンという言葉が流行ったのも15年以上前だろう。イクメンという言葉が流行るということは、育児をする男性が珍しい存在だったということだ。
また異性愛や恋愛感情を抱くことが当たり前とされていて、それに当てはまらない人への関り方に対してみんながすごく無知だった気がする。おねえタレントが流行ったのも10年以上昔のことだ。あれも今思うと極端な扱い方な気がする。今でも理解しきれているとは自分含め到底思えないが、理解が進んでいることは間違いないだろう。
あとはオタクの扱いみたいなのも変わった。15年前はオタク=気持ち悪いみたいなイメージが確実にあったし、テレビなどのメディアが率先してそんな扱いをしていた。それが悪いことのようになっていなかった世界だった。今となってはオタクだから~とか言われることは全く聞かなくなった。むしろオープンに自分のオタクとしての姿を晒している。「推し」という言葉が当たり前のように日常に溶け込むような時代になっている。
少し毛色は違う話かもしれないが、お笑い芸人の容姿いじりなどもここ数年でなくなってきた。特に女性芸人。ある時期からタブーみたいになって、段々とそれが当たり前になっていった。今では日常でも容姿いじりはしらけるようになった気がする。
「風呂キャンセル界隈」などと言う言葉が、夕方のニュースで取り上げられているのも、一昔前ではありえないのかもしれない。昔なら汚いと一蹴されてたのではないだろうか。今の時代だと、若者の一つのライフスタイルのように扱われる。理解されないながらも、受け入れる姿勢を否定しない姿勢を見せようとみんながしている気がする。
総じて、思うことは、「新しい価値観を否定してはいけない、理解できなくてもとりあえず受け入れていこう。そうでないと時代についていけない老害と思われてしまう。」みたいな観念が浸透してきているような気がする。一昔前はむしろ新しいもの、若者の価値観、マイノリティはまず否定されていた。それが今ではまず受け入れようという時代になったように思える。確実にここ15~10年で根本的な流れが変わっている。
中身が伴わないまま外堀だけ埋まってきているような怖さはあるし、何でもかんでも価値観で済ますことの気持ち悪さはあるものの、色んな人が少しでも生きやすくなっている気がするこの時代に生まれて良かったと僕は思っている。