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メンヘラコミュ症ホステスになる❊父について❊

父の生い立ちは複雑だった。
恐らくそのせいで、妻である母に強い執着をし、共依存の関係になっていたんだと思う。

ちょっと複雑なので仮名で話を進めていきます。

トメ(父の祖母)は割烹と芸者置屋を営んでいた。
明成(父の父)は単身赴任で、登美子(父の母)と正男(父)をトメの元に残し離れて暮らしていた。

乳飲み子の正男の世話をしながら、登美子はトメの店を手伝い、時に芸者として宴席にもあがっていた。
女手一つで店を切り盛りする、男勝りなトメに気を遣い、心休まる暇もなかった。

正男が3歳になる前に、登美子は客の男と蒸発し、トメの元に正男を残し、出ていった。

家業が忙しいトメに甘えることはできず、正男もまた、後の人生で無条件の愛を探し求めて苦しんでいた。
正男は登美子に会いたくてずっと探していた。

きっと父は、私より愛情に飢えていたに違いない。

話が飛ぶが、私に息子が生まれた時、息子に父を投影し抱きしめた。
私がこうしてあげられたら良かったのに……。

亭主関白で、口より手が先に出る職人タイプの父が大嫌いだったが、なぜだか息子を通して父の淋しさや孤独を感じ、憎悪していた気持ちがいつの間にか消えていた。


後に分かったことだが、登美子は父と離れたあとも、各地で男を作り、子どもを置き去りにし、最終的に父を含め7人子どもを生み、横須賀で亡くなった。

父は土地の権利放棄を市から通達され、そのことを知ることとなった。

1人っ子で淋しかったから、子どもは2人以上欲しいと言っていた父だが、7人も兄妹がいたなんて皮肉である。


登美子もまた無償の愛を探し求めて、各地を転々としていたのかもしれない。


大人になった私は感情の幅も広がった。そのことを通じ大人も子どももみんな誰かに無条件で愛されたくてしょうがないんだなあと思った。

「無償の愛」そんなものは何処にもない。
でも何処かにあるかもと信じて、その幻想を皆、追い求めている。

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