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朔の読書感想文 その2

どうして今まで読まなかったのだろう
こんなにも生き方を肯定してくれる本を
全ての章で感動した、読んで良かったと思った

書楼弔堂のシリーズ第一弾の破曉を読ませていただきました

あらすじ
明治二十年代の半ば。雑木林と荒れ地ばかりの東京の外れで日々無為に過ごしていた高遠は、異様な書舗と巡りあう。本は墓のようなものだという主人が営む店の名は、書楼弔堂。古今東西の書物が集められたその店を、最後の浮世絵師月岡芳年や書生時代の泉鏡花など、迷える者たちが己のための一冊を求め〈探書〉に訪れる。変わりゆく時代の相克の中で本と人の繋がりを編み直す新シリーズ、第一弾!

https://lp.shueisha.co.jp/tomuraidou/index.html
集英社

弔堂の主人曰く、本は墓のようなものだという
本を墓と思ったことはなかった、
確かに過去の事実を記し、現代までにその記憶を残しているなら墓と似たようなものではあるだろうが、、、

本は内容に価値があるのではございません。読むと云う行いに因って、読む人の中に何かが立ち上がるーそちらの方に価値があるのでございます

書楼弔堂破曉

弔堂に訪れる人は自分の本を求めてやってくると云う
私にとっての一冊はあるだろうか
今の時代、たくさんの本が日々刊行され、読める媒体も増えている、自分の本に出会える可能性が増えたとは言えるだろうが、逆に多すぎて見失ってしまうかもしれない
まあ、会えない時は会えないし、会える時はひょっこりと会えるかもしれない

この本に実際に明治二十年代半に生きてきた、歴史上の偉人たちが出てくる
彼らは自分の生き方、進み方に迷い、悩んでいた

目の前に二筋の道があると致しましょう。右は平坦で短くまっすぐな道。左は遠回りで凸凹した険しく歩き難い道でございます。果たしてどちらの道が正解か。

書楼弔堂破曉

どちらが正解だろうか
まっすぐな道というのは見渡しがきき、これから起こることもある程度予想ができるだろう、平穏な生き方が好きな人はこちらを選ぶかもしれないし、逆に人と同じは好まない天邪鬼な人にとって凸凹した道は魅力的であるだろう


正解というものはどうしても白黒つけなきゃいけないような気になってしまう

ただ、どちらの道を行こうとある程度の我と覚悟は必要だろう、私はどちらかというと平穏を好みながら凸凹の方に足を進み初めている人なので、覚悟はいるよとこの本に言われた気がした



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