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会って、笑って、抱きしめる

両親と祖母の定期観察のため
2週間に一度は実家へ行く。

バックで車を駐車していると
ハンバーガーのおもちゃを口に咥えた柴犬がサイドミラーに映った。

よほど嬉しいのか、目を細め、尻尾をブンブンと振りまわしながらお座りして待っている。


車を降り、ニヤつきながら駆け寄ると
嬉しさからか思わずハンバーガーを口から落とし慌てて咥えなおした。


愛情表現だと理解はしているが
顔中なめられるのがどうも苦手なので
私は必ずハンバーガーを咥えさせてから撫でるのだ。(写真のようダンベル?の時もあり)

自らハンバーガーで口を塞ぎなおし、
どうぞ撫でてくださいと近寄ってきたので
辛抱たまらず抱きしめた。



家にあがるともう1匹がお出迎えしてくれる。

小走りで近付いてきた割に
撫でさせてあげてもいいけどー?どうするー?
と足の周りをうろついてくるので

抱きかかえ、世界一可愛い猫だよ〜とあごを撫でてやるとまんざらでもなさそうにニャーと鳴いた。


「いいなぁ〜メロー、お姉ちゃんに会いたかったよなぁ」と父。

「おかえり〜!まぁ上がりよ!コーヒー飲むやろ?」と母。

祖母は自室で新聞を読んでいるだろう。




この人たちがいなければ
私はどんなに自由だろうかと
自分勝手な思いが暴走する時がある。

鬱陶しいくらいに大切で
だからこそ面倒な彼らがいるから
私は自由を望むし一人を確立したいと渇望する。



進撃の巨人でエレンは「家族ミカサを守るためにパラディ島以外の人間を根絶やしにする世界」を選んだが

本当は単純に世界をぶち壊して自由になりたかっただけなんじゃないかなぁと思っている。

そんなこと堂々と言えるわけないので
うつくしい建前を用意したんじゃなかろうか。



座ってコーヒーを飲んでいると
「7月はやっとラルクのライブがWOWOWであるのよー!観にくるのよ!」と母が言う。
その横で父親はニコニコと笑っている。

祖母は寝ているらしい。





あと50年後、
彼らはきっとここにいなくて

その時私はこの家で
今日みたいに何でもない
しあわせな日の思い出を抱きしめて
1人呆けているかもしれない。



彼らを守りたいと思いながら
同時にすべてを捨て自由になりたいと渇望もする。

どちらが私の本当の願いかはわからないが
会って、笑って、抱きしめる。

互いの身体が生きている間にしかできないことを大切にして、慈しみ生きていたいと思った。




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