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自分のことは自分でしあわせにしてやるのだ

休みの日が素晴らしいのは
効率的でなくて良いからだ。

朝ごはんを作りながら
洗濯機を回さなくていい。

化粧をしてからご飯を食べていいし
お昼ご飯は食べる時に作っていい。

歯を磨きながら
床をコロコロしなくていいし
お茶を淹れている間に食器を洗わなくていい。(6、70度のお湯でじっくりと淹れる緑茶が一番美味しい)


一つのことが終われば
また別のことをすればいい。

そんなことが数万年後の贅沢だって知ったら縄文人は驚くかな。それとも我々もそんな感じだよーと受け流されるだろうか。



今朝も無駄に5時起き。
土日も構わず強制早起きチャレンジみたいな生活になっているがもう知らん、勝手にしろと思っている。

のんびり朝食を食べ洗濯をしたら
湿度気温が完璧なこの季節にしか着られない洋服に着替えた。


徒歩15分の場所にできた
無●印良品(伏字失敗)とタリーズが入るスーパーへ向かう。

無印でボートネックのボーダーTシャツがかわいかったのでついついカゴに入れてしまったが今日の本命は色鉛筆と画用紙。12色か36色で迷い、36色にした。



予報では雨のはずだったのに
なかなかの散歩日和でいい気分の帰り道。


昼食用に買ったウインナーパンと
晩酌用に買ったプレモルで一杯やって帰ろうかと閃き
それはまた今度のお楽しみにしましょうと公園内を通り過ぎる。



どんな絵を描こうかと考えつつ歩く。

小さい頃は暇があればお絵描きをしていたので
本質的には好きなことに入るのだと思うが

いざこうして道具がそろうと
何を書けばいいのか悩んでしまう。

子供の頃は何を描こうかなんて考えて書いたこともなかったのに不思議なもんだ。


絵を描きたい、ギターを弾きたい(楽器店へ下見に行ったらウクレレ<ギターになった)という思いはなぜ湧き起こったのだろう。

数年前から自由になりたいとひたすら考えていて、その思いを形にしたものが一人暮らしであり去年から始めた文章を書くという行為だったが

言葉はむずかしいなぁと思う。
書けば書くほど主張になるというか。
伝える手段としての言葉なのだから
そうなるのは当たり前だけど。


絵と音楽のいいところは
主張にならないからじゃないか。
みる人間はメッセージではなくまず、その人の表現として受け入れる。
作者と自分の境界線がはっきりしている感じ。

だけどもしかして極めていけば絵も音楽も主張になっていくのかな?



帰宅してすぐ花の絵を描き始めた。

全然普通に下手だけど
そんなの当たり前のことなので
この絵は下手だろうか、はて…と思わないでいられるのがたのしい。

集中力が切れベットに横になり気づくと夕方で、
最近お決まりのパターンをなぞってしまったことに悔しくなったが
休日に貪るこの数時間の昼寝は
平日5日分の睡眠をまとめても足りないほど良質だ。


部屋の中が明るい夜空みたいな青で
太陽が遅くまで頑張っている
5月の夕方はうつくしいと思う。

これから一年の中でどの季節が好きか聞かれたら、ちょっとずるいけど初夏だと答えよう。


明日からも自分のことは自分でしあわせにしてやるんだよ、自分。なんとしてもだ。




洗い物をしながらふと流れてきたメロディーが心の琴線にふれた。Coccoのポロメリアという曲らしい。よくもまぁこんな心が握りつぶされて呼吸できなくなるようなメロディーを生み出せるものだ。




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