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ミッドライフクライシスの到来 ◇うつ闘病記 その8◇

眠れない日は続いた。
やがて自分が急激に老けこんだような気持ちが心を浸食してきた。
2019年当時、44歳。
中年の危機、ミッドライフクライシスの到来である。

自分の過去を猛烈に後悔し、現在を嘆き、未来への不安に苛まれるようになった。

◆◆◆

自分の20代を思い出し、職場の若い社員たちが成長していく姿を見るのがつらくなった。
大学卒業後、就職活動をする勇気がなかった私は無職となった。
理由は吃音(きつおん、どもり)である。当時の私は現在よりもさらに、電話ではうまく会話にならなかった。

応募の電話が怖くて、アルバイトもできない日々。
思いきって電話をかけても、即座に断られたり、いらだたしげに電話を切られたり、「自分の名前も言えないようでは困りますねぇ」とあきれられたりした。

未来ある若者たちを遠目に眺めながら、社会に出られずに鬱々と日々を過ごしていた私の20代において失われたものはあまりに大きく、挽回不可能だという思いが強まった。

◆◆◆

44歳の私。同世代の人と比べて、なんと幼いのだろう。世の女性たちは仕事、子育て、介護、その他に大忙しだ。

40代ともなれば、働く女性たちは相当のキャリアを積んでいる。会社という組織におずおずと身を置きながら、会社員としての自分の未熟さを痛感した。

また、うつが悪化するにつれて、子どもがいないことへの劣等感が生じた。とはいえ、出産しなかったことを後悔するようになったというわけでもない。

ただただ他人が皆、立派に見えて、それに比べて自分は・・・という思いに、がんじがらめになったのだった。

44という、それなりに重みのある数字に自分の精神年齢がまったく追いついていないことに絶望した。

◆◆◆

そして未来の自分はどうなっているのだろう?こんな状態では明るい未来など描けない。
ネットには「〇〇な人の悲惨な末路」という、心がざわつくタイトルの記事があふれている。
「末路末路って、その人たちの人生、まだ全然終わってないじゃん!」と、無性に腹が立った。

ネット記事の中にはあたかも取材して書いた実話に見せかけた創作も存在するのだから、いちいちうろたえる必要はないと、元気になった今では思えるが、当時の私はそういうタイトルを目にするたびに、自分の末路はどうなるのだろうと思い、怖かった。

また、昨今、毎日見かける「人生100年時代」という言葉も、目を背けたくなるものだった。今日、明日を生き延びるのに必死なのに、万が一、100歳まで生きてしまいそうになったらどうしよう。
そもそも、そんなに生きるためのお金は私にはないよ!
長生きリスクを考えると、めまいがするような思いだった。

◆◆◆

こんなに苦しい40代が待ち受けているとは、30代の頃には思ってもいなかった。
出口の見えないトンネルのようなミッドライフクライシスはいつまで続くのだろうか。
生きる気力がどんどん失われていくようだった。

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