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ヴェネツィア・リアルト橋

ヴェネツィアで一番有名な橋:リアルト橋


リアルト橋

この街の400個近くある橋の中で、なんといっても一番有名なのは、この「リアルト橋」でしょう。(PONTE DI RIALTO サン・ポーロ地区)
逆S字大運河の中央で急なカーブ部分にかかる、大運河にかかる三つの橋の中でも最も古く、一番「絵」になる橋として、これまでもたくさんの画家たちに描かれてきました。

長さが48メートル幅22メートルの、白い大理石でできたこの橋は、両側にアーケードが設けられていて、ガラスや皮革製品の小さな店がいくつも並んでいます。両端の欄干には、大運河を行き交う船や並ぶ館を眺める人々でいつもいっぱいです。

このリアルト周辺は古くから商いの中心地で、1172年頃には大運河を結ぶ唯一の橋として、船の上に板を渡した簡易の橋があったといいます。リアルトが商業上の国際的な拠点になるのに伴い、1250年前後に木の橋が建設されました。

高さのあるガレー船でも通れるように、この木の橋は跳ね橋になっていましたが、1310年には暴動で焼け落ち、その後二度重みで崩壊してしまいます。ブチントーロ(総督のお召し舟)さえ通行できなくなって、1525年、ようやく石橋の建設が閣議で決定されました。

しかしこの決定から実際の着工までに、長い年月がかかったのは、トルコとの戦争が財政を圧迫していたという、ヴェネツィア共和国の資金不足の問題が主にあったためのようです。

建築家を決定する設計コンペ

さて、石橋の建設が決定し、当時の有名建築家がこぞって参加したこの橋の設計コンペは、アントニオ・ダル・ポンテとヴィンチェンツォ・スカモッツィの二人の建築家の案にしぼられます。が、建設の監督者である行政官二人までが、一人はダル・ポンテを、片方はスカモッツィを支持するという政治的な戦いにも発展していきました。

最終的には、ダル・ポンテの設計が採用されることになり、1588年6月8日めでたく着工にこぎつけました。しかし、たった二ヶ月で工事は中断されます。コンペに敗れたスカモッツィが展開した「反ダル・ポンテキャンペーン」が功を奏し、五人の調査委員による検証が実施されることになったからでした。

スカモッツィは、橋の耐久性についての批判から、無記名の手紙によるダル・ポンテへの全く根拠のない中傷まで、ライバルを蹴落とすためにあらゆる手段をつかったようです。が、念入りな現地調査も通過して一ヶ月後の9月5日に工事は再開され、1591年に新しい石橋、今のリアルト橋が完成しました。

翌年の1592年7月、ヴェネツィアは稀にみる大地震に襲われます。『小さな地震でも起きようものなら、この橋はあっという間に崩壊するだろう』と痛烈に批判していたスカモッツィでしたが、他所の被害をよそ目にダル・ポンテの石橋は無傷で、外観だけでなく、構造上の優秀さもはっきりと証明したのでした。

それからずっと400年後の今も、リアルト橋はヴェネツィアのシンボルです。連日観光客の人々でにぎわうこのリアルト橋を、もしスカモッツィが見たら、さらに嫉妬と悔しさをかきたてるのでしょうか。それともダル・ポンテの技量の前に、ようやく兜をぬぐ気になったでしょうか・・・。


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