無気力から脱するまでの時間
周りはくだらないことしか言わなかった。
昨日誰とセックスしたとか、どこで何食べたとか。こんな音楽が好きだ、最近こんなことを思ったとかでさえも。僕の心が動かされることはないし、共感もできなかった。このくだらなさは僕にも当てはまる。表現力が不足しているせいで口に出すと途端に軽々しくなるのだ。
人の話を聞くのはあまり得意では無かった。それを聞いて何を思えばいいのか、どう返事をすればいいのか分からないからだ。
バカにしていたいとか、世間に対する逆張りだとか、そうすることでどうしようもない自分を保護する反骨精神で言ってるんじゃ無い、と思う。ただ言葉も情景も僕を響かせてくれなかった。こんな状態を生きづらいと感じていたし、早く抜け出して友達となんでもない話で笑い合いたいと願っている。
それと同時にまだこのネガティブで利己的で悲哀に満ちた世界に浸かっていたい気持ちも存在していた。冬場に浴槽に使ってる時みたいに。ドアを開けて外に出るエネルギーはなかったし、生身のまま外気に晒されるよりはマシだった。僕にできることはのぼせ上がるのを待つことだけだ。
死について考えることはなかった。
自分の人生に対して危機感を持ち合わせていないのだ。以前はあったが、ゼミを開設したり、ロボット開発団体に入って虚無感を満たしてろくに考えもせずに目の前のモラトリアムから抜け出し続けているうちにすり減って遂には消えた。自分の本音と付き合っていたわけではないのでその活動をして僕に残ったものは少ないし、隙あらば時間軸は僕の精神年齢に迫ってくるので僕も消耗したわけである。イタチごっこには疲れた。今の僕にはコンプレックスさえも無いのだ。そんな状態でどうやって自走しろというのだ。幸い人生におけるレールはまだ残っているので思考停止して歩ける猶予もまだ残されている。
やることはやったという自負と今の現象を予定調和だとどこか俯瞰的に観ている自分がいるので、こんな自分死んだ方がマシだ!なんて思考には陥らないのだ。ふとした拍子に意識の斜面を滑り落ちそうだなとは思うけども。無意識に手をかけても不思議じゃないのかもしれない。きっかけがないだけなのかもしれない。わからない。
落ちるべくして落ちた局所最適解。
こんな時僕はビートルズのゴールデンスランバーを聴く。直訳すると黄金のまどろみ。そんな高尚なものじゃないけど、漠然としているが故感じるものもあったりする。前に和訳を見たことがあるが、思っていたのと違う世界観だったので僕の脳内で勝手に改変して聴いている。言葉の通り、まどろみ、眠り、停止。悲哀、内省、喪失感、無気力、沈黙。風の音。精神的な疲労を癒さなければならない時間。キャリーザウェイトの前奏。(キャリーザウェイトの歌詞も僕が思っていたものとは違うが)
僕がキャリーザウェイトになる日はいつだろうか。
人は行動を起こすべきだという。セックスをするべきだとか、人と会うべきだとか。
もう済んだ。それを局所最適解と言っているのだ。それは根本的な解決からの逃げだ。逃げてるうちに人生が終われば良いが、おおかた僕はそういうタイプの人間ではないのでここで止まっている。良いじゃ無いか、精神的向上心が無くたって。変化のための寄り道なんてしたくない。幸不幸どうあれ今の自分を煮詰めた姿を見てみたいのだ。
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