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繋がる=離れているものが結ばれて、ひと続きになる。

舞台を観に行ったお話。


ミュージカル『青春-AOHARU-鉄道』5 ~鉄路にラブソングを~
通称、鉄ミュ。
日本の鉄道を擬人化した『青春-AOHARU-鉄道』という作品を舞台化したものである。
東京で行われた公演のうち、2週にわたって土日の公演を観劇してきた。
その数なんと7公演。
「同じ舞台を7回も?」と思われる方もいると思うが、舞台は生物。
その1回1回がまったく同じではないのだ。

『青春-AOHARU-鉄道』は最初の方の公演は多少のアドリブがあるものの、概ね台本通りのように感じる。
ところが2週目になると、各俳優さんのアドリブは増え、舞台と観客のコール&レスポンスの勢いは増し、もはや最初に見た台本通りの舞台を思い出せなくなってくるのだ。
「ここのシーンは今日はどんなふうになるのだろう」
「ここは今日はどんな掛け合いになるのだろう」
「あのキャラクターは今日は何を食べるのかな」
※舞台上でいろんな食べ物を食べるキャラクターがいる
と、何回観ても楽しめる要素が魅力だとも感じる。
かといって、初見の人が観ても付いていけないような内輪ノリな雰囲気があるわけでもない。

毎回新しい路線が加わり、全路線がそれぞれのパートを歌う「つながる青春(AOHARU)」は圧巻だ。
路線によって曲調も歌い方も異なり、個性様々な路線と曲がノンストップで走り抜ける。
その間は1秒たりとも目が離せない。
そして1つの路線が自己紹介のように歌う間、他の路線はバックダンサーのようにその場を盛り上げる。
全員が揃った振付をする曲、静かに耳を傾けている曲、各自好きなように動いている曲…メインで歌っている路線はもちろん観たいのだが、後ろで好き勝手に動いている路線たちも気になってしまう。
「目が2つでは足りない!」という発言が飛び出すのは、おそらくこの現場特有ではないだろうか。

舞台は長編の物語ではなく、ショートショートのような構成になっている。
各路線、各地域、そして各路線の歴史。
様々な物語を各路線たちが、わかりやすくコミカルに、時には痛みや苦しみを思い出しながら語っていくのである。

今回の鉄ミュ5では、千葉組と呼ばれる総武線・中央線・東金線が新たに登場した。
私は千葉で育ったこともあり、今回の千葉組の新小岩駅のホームドア設置の話や中央線の社畜車両の話は、非常に身近なものだった。
総武線が歌う「津田沼行き」「千葉駅ランダム発車」は、それこそ子どもの頃から当たり前のように見てきたもの。
聴いた瞬間、つい一緒に観ていた妹と爆笑してしまった。

おそらく鉄ミュ5を観劇した人が声をそろえて絶賛するのは、金沢延伸となる北陸新幹線と、北陸新幹線が延伸することで縮小されてしまう北陸本線、北陸本線によって縮小された信越本線(直江津線)の物語ではないだろうか。
もともと現在の新幹線になると言われていた直江津線。
ところが北陸本線が通じることで縮小され、信越本線へと名前を変える。
そして信越本線が奪われた区間は、北陸新幹線延伸によって北陸本線から北陸新幹線へと渡ることになる。
人によって夢を持たされて生まれてきたのに、人によって縮小され、そしてまた他のものへと奪われる。
そんな信越本線と、奪われたものは未来のために次の世代へ渡すことも美しいことだと考える北陸本線と、他から奪って大きくなっていく北陸新幹線の3つの路線の物語。
今回この信越本線を演じた高崎翔太さんの演技に圧倒されてしまった。
私が今まで観てきた高崎翔太さんはコミカルな役が多く、ファンイベントでも楽しそうに笑顔で、いろんな人とおもしろいことをしているところが多かった。
さらに鉄ミュ5の東京公演では、最後の2公演は北陸本線約の牧田哲也さんが体調不良で出演を見合わせる事態となったのだ。
牧田哲也さんは録音した音声と画像での演出に切り替わり、この信越本線と北陸本線のシーンは高崎翔太さんの一人芝居となる。
私は2人でのシーンも高崎翔太さん1人のシーンもどちらも観たが、1人いないという違和感を感じさせない、ぶれない演技だったと思う。
途中、他の俳優さんが顔を見せないようにして北陸本線役を演じたのだが、それでも急遽演出の変更があったことを感じさせない舞台だった。

神戸の千秋楽でも橋本汰斗さんが体調不良で出演を見合わせたという。
私は神戸の千秋楽をまだ観ていないのだが、演出を急遽変更し、それでも観客を楽しませるということを諦めない姿勢に驚かされる。

私がこの鉄ミュ5ですごいと感じたのは、出演を見合わせた俳優さんをいないことにするのではなく、ちゃんとその場所は空けておいたのを観たときだ。
本来いるはずの場所を詰めず、その人がいるかのように場所を空けておく。
そしてその欠けた部分をみんなで埋める。
観客はそれを咎めることなく受け入れ、一緒に分かち合う。
そんな暖かい空気のある舞台を感じた。

新型コロナウィルスによって、日常が当たり前ではないことを痛いほどに感じたはずなのに、少し日常が戻っただけで忘れてしまう。
舞台が定刻通りに始まることは決して当たり前ではない。
舞台が台本通りに進むことも当たり前ではない。
舞台を観に行けることだって当たり前ではないのだ。

「繋がる」という言葉を辞書で引くと、「離れているものが結ばれて、ひと続きになる。」という意味が出てくる。
この舞台で言えば電車がつながり、各地域が結ばれるということになるのだろう。
しかしそれだけではなく、普段会わない人たちがこの鉄ミュによって1つの場所に集まってつながることでもあると思う。
俳優さん同士、スタッフさん同士、観客同士でも同じことが言えるかもしれない。
今回に関して言えば、出演できなかった俳優さんと出演キャスト、そして観客にも言えるのではないだろうか。
「つながる青春(AOHARU)」は、舞台上だけではない。
この舞台に関係する人々、この舞台を観ている人々、そして路線と『青春-AOHARU-鉄道』の過去から現在、そして未来のすべてが「つながる」舞台なのだと改めて実感した。


ここからは私の話なので、興味がない方は戻っていただいて大丈夫です。
私の自分語りなので文末表現を変えました。

実は、私は子どもを産んでから初めて観に行ったのは鉄ミュの新幹線スピンオフでした。
コロナ以前は西武スピンオフや鉄ライも行きましたが、鉄ミュ4は子どもが産まれた直後だったので、やっていたことさえ気づきませんでした…

鉄ミュ4もまだ授乳中だったので長時間の外出が難しく、申し訳ないのですがほとんど内容を覚えていません。
義母に預けて行ったので気が気でなかったのもあります。

今回の鉄ミュ5は娘も3歳になる年なのでだいぶ大きくなり、夫に任せて観劇しました。
そこまで手がかかる年齢でもなくなったので、舞台に集中できたなあ、楽しめたなあと実感しています。
出かけるときは泣かれましたけど…

今年からはもっといろんな舞台を観に行けたらなあと思っています。
12月に地下鉄スピンオフも決まったようなので、楽しみにしたいですね。

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