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「詩の教室で石垣りんの魅力を再発見」

詩人のヤリタミサコさんとの出会い

 ヤリタミサコさんと出会ったのは、1998年2月でした。在りし日の祖母が東京・高田馬場のBen‘s café (2011年に閉店) で行われている朗読会がテレビで紹介されていることを教えてくれた時、ちょうど画面に詩人たちが集まっている様子が映っており、その中にヤリタさんもいたのでした。僕は<あの場所に〝何か〟が待っている>と直観しました。

ㅤテレビ局に電話をして、店の場所を聞き、翌月には朗読会のオープンマイクに参加、その日にヤリタさんの姿を見て<本物の詩人だ・・>と思いました。その日、初めて人前で自分の詩を朗読した僕はあまりに緊張していたせいか、朗読をした記憶は全く残っていません。

ヤリタさんの詩集や評論の出版活動 

ㅤあれから26年の年月が過ぎ、ヤリタさんも僕も詩人としての活動を続けています。ヤリタさんは何冊もの詩集や日本の現代詩からアメリカのビートニクの詩人たちについての評論等を出版、カミングスの詩の翻訳もされています。2019年に出した詩集『月の背骨/向う見ず女のバラッド』(らんか社)は、北海道新聞文学賞を受賞しています。

ㅤそのヤリタさんが2月3日の午後、新宿で詩の教室を開催しました。歌舞伎町を通り抜けた辺りにあるホテルの1階にあるCAFÉ & BAR Crospotにて10人の参加者が集いました。

ㅤこの催しは、昨年、志半ばで病没された、ヤリタさんと親交のあった編集者・佐藤由美子さんの「詩や文学を通して皆で何かをやることは人の心を動かし、社会を動かす」「小さな声を表現で届ける」という遺志を継いで行われています。以前は、同じ新宿のCafe Lavanderiaで行われていましたが昨年に閉店。場所を移しての開催となりました。

詩の教室での石垣りんの詩の朗読

︎ ︎ ︎ ︎ ︎今回の詩のテーマは『石垣りん』 。定年まで銀行員として働く傍ら、優れた多くの詩を書き「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」 「表札など」 等、人々の日常生活に重なる詩が読者の共感を呼びました。80歳頃に今迄に出していた詩集が次々と再版され、テレビや新聞で反響を呼び、没後18年を過ぎた昨年もエッセイ集『朝のあかり』が刊行されました。

ㅤ詩の教室では、最初、生前に石垣りんが話したり朗読した音源を会場で流し、在りし日の彼女を身近に感じることができました。その気品のある話し方に、ヤリタさんは「(戦後の)時代の女性らしく人を気遣う、山手の言葉だと思います」 と、石垣りんの口調の背景を語りました。 

︎ ︎ ︎ ︎ ︎配布された資料に掲載された、石垣りんの作品の中から選ばれた詩はとくに優れており、まさに彼女の詩の世界を共有できるものでした。ヤリタさんは一編ずつエピソードを交えつつ、その詩を朗読、参加者は静かに耳を傾けました。

石垣りんの詩のテーマと人生の姿勢

ㅤヤリタさんが「とくにこの詩は読んでほしいです」と伝えた 「弔辞」という詩 は、戦争の犠牲者と対話する感覚が伝わり<死者は静かに立ち上がる>という一行が、僕の心に深く響きました。 また「白いものが」 は、僕がとくに共感した詩で、石鹸(せっけん)の比喩が優れています。

ㅤㅤその思い出を落すのにも
ㅤㅤこころのよごれを落すのにも
ㅤㅤやはり要るものがある
ㅤㅤ生活をゆたかにする、生活を明るくする
ㅤㅤ日常になくてはならぬものが、ある。

参加者の感想と詩に対する思い

ㅤヤリタさんは朗読の後、参加者に質問し、皆さんそれぞれの感想を語らいました。ビールを飲んでいた僕は頬を赤らめながら「クオリティもあり、読者の心に届く詩とは何か? を今回の石垣りんの詩を通して考えさせられました」 と本音を熱く語り、また他の参加者は「どれがよい詩かは人により、答はないと思う」という意見もあり、それぞれが詩とは何か?と思いを巡らせました。

︎ ︎ ︎ ︎ ︎ ︎ヤリタさんと皆さんで共有するひと時は「人間・石垣りん」が豊かに伝わる時間でした。戦前、戦中、戦後を生きた一人の女性・石垣りん。家庭環境に恵まれず、父と義母たち、弟妹を養い、独身の生涯を送りました。その日々の傍らにいつもいる〝詩〟と共に歩む人生をつらぬく姿が見えるようで、深い共感を覚えました。石垣りんの人生の重みをずしりと感じられた「詩の教室」の余韻を胸に、私はカフェを後にしました。

   * 次回のヤリタミサコさんの「詩の教室」は4/6(土)の予定です。

ㅤ※ 僕も自分にとっての「石鹸の詩」を書きました。もし石垣りんさんの優れた詩との、違いや共通点等を味わっていただけたらありがたいです。

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