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学ばない人から学ぶ

咳やくしゃみをするときに、手の平を添えたり口元にゲンコツを当てたりしてもほとんど意味はなく、隙間からだだ漏れした飛沫やウイルスは、しばらく辺りを浮遊する。
だから咳やくしゃみの際はマスクをするか、ハンカチなどで口と鼻を覆う。それが咳エチケット。

…というのはコロナ禍を経た現在、周知の事実

と、わたしは認識していたのですが、先日混み合った電車内で激しめのくしゃみを、それも申し訳程度に手を添えただけの状態で幾度も行った後、その手を座席で拭いている人を見掛けました。

え…?

思わず二度見し、この人はパッと見たところ現代人のようだけれども、昭和か平成辺りから時空を超えて来たのだろうか、つまり、コロナ禍を経た人ではないのだろうかと妄想しました。

アーユータイムトラベラー?

…まぁ、たぶんそういうことではなく、結局、何を経験したところでそこから学びを得るか得ないかは人それぞれ、ということなのでしょう。

例えば、ものすごい偉人がいたとして、人は
「幼少期から苦労して育ったせいだ」とか
「素晴らしい先生に出会ったからだ」とか
「あの親にしてこの子ありだ」とか
最もらしい理由を並べますが、そんなものは単なるきっかけでしかなく、同じように育っても無論、悪人になる可能性はあります。

いわんや凡人をや。

経験を経てもまったく学んでいない(ように見える)人を見ると、驚く反面、わたしは少し安心するのです。

裕福な家庭で育とうが育つまいが
いい学校を出ようが出まいが
子どもを産もうが産むまいが
働こうが働くまいが

その人が何を学び、そして学ばないかは
本当に、人それぞれなのだなと。

大丈夫。

わたしは家族に屈託があるし
英検は準2級しか持っていないし
社会に役立つ仕事をしているわけでもないし
一人旅も一人暮らしもしたことがないし
子どもも産んでいないけれど

その暮らしの中でも心掛け次第で学びを得ることは出来る。

学ばないのもまた、わたしの自由。

そう思うと少し気が楽になるし、絶対にこの経験をしないとよき人間になれない、と断定されるよりもむしろ、希望が持てるような気がするのです。

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