1人の人間として尊重されたいだけだった
小柄で貧相な体つきで
目立たず主張をせず
体が弱く学校を休みがち
そんな風だったせいか、
わたしはいつも庇護の対象でした。
猥談で盛り上がっている同級生たちに
「こんな話、聞かせられないよー」と省かれたり
初めてアルバイトするときに
「挨拶は“おはようございます”だよ!大丈夫?」
と殊更に心配されたり
力仕事の際に大柄な同級生と比べられ
「○○だったらいいけど、ちびろには無理だよ」
と言われたり。
引き合いに出された大柄な同級生○○は「ちょっと、なんでわたしならいいのー」と笑みを含んだ抗議の声を上げていましたが、わたしは内心、彼女を羨ましいと思いました。
だって彼女は仲間の一員で
わたしは、戦力外だから。
お兄ちゃんたちと一緒に鬼ごっこをしたいのに「お前は1人で遊んでろ」と人形を押し付けられる年端のいかない妹のような気分でした。
彼女たちは同級生なのに。
…
あの頃から随分と時は流れ、わたしはようやく、妹ポジションから抜け出ることが出来ました。
中年になった為です。
でもそうしたら、若人と比較され貶められることが増えました。
わたしはようやく、あの頃の「大柄な同級生○○」の気持ちを、身をもって味わっています。
「ちびろさんだったらいいけど、△△ちゃんにはさせられないわー」
「ちょっと、なんでわたしならいいのー」
当時、同じセリフを口にした同級生○○の抗議の声には確かに笑みが混じっていた、けれども、それは「本気で怒ったらダサいと思われる」という気持ちが含まれていたのではないか。
わたしもまた「おばさんが僻んでいると思われたくない」という気持ちで受け流し笑いながら、その実チクリと傷つき、若さ故に持ち上げられ特別待遇を受ける若人に対して羨む気持ちが湧いてきそうになります。
でも
ちょっと待てよ。
これって、わたしたちは
何も悪くないのではないか?
わたしと大柄な同級生を
あるいは若人とわたしを
勝手に比較し
勝手に持ち上げたり
貶めたりしている方が
おかしいのではないか?
仲間の一員にしてほしかった
子どもの頃のわたし。
揶揄されてちょっと傷付く
大人になったわたし。
それぞれ違っているようでも
わたしの望みは1つでした。
「1人の人間として尊重されたい」
一員から除外される庇護の対象になりたいわけでも、仲間という名の揶揄いや蔑みの対象になりたいわけでもない
妹でも、おばさんでもなく
わたしという1人の人間として
対等な存在として扱ってほしいだけ。
それだけのことだったのだなと。
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