30日チャレday7、小食気絶部と同窓会での思い出、転機?(日記12)

アテネフランセ英語の夏期講習が今日で終わった。その後、打ち上げがてら、クラスメート数人で昼食に行った。神保町のおいしい天丼屋だった。しかし天丼のような重いものを昼食に食べたのは久しぶりだったので、血糖値スパイク+胃もたれを起こし、家に帰るとバタンキューだった(病原菌に感染した犬を素手で殺し続ける夢を見ていた)。ご飯も増量しなかったため、大した量ではないはずだが。これではドカ食い気絶部ならぬ、小食気絶部かもしれない。

今日の英会話内容メモ。えっとなんだっけ。あー思い出した。同窓会に行ったことがあるか、というものだった。私は20歳のときの成人式で、小学校・中学校のクラスメートたちと会った。それ以降は彼らとほとんどコンタクトをとっていない。地元・富山県に大した思い入れがないからである。美術館や映画館の量からして、圧倒的に東京のほうが私の趣味に適合している。

それで話した内容というのは、そこで小学校高学年のときの担任(男性)に会い、そのことが私の人生における選択の一つの指針になった、ということである。担任に対し、私はいま大学で哲学を学んでいる、と言った。そしたら彼は「それはとても大事なことだ。それでいて納得がいく。君は昔からよく考える性格だった」と返してくれた(言い方は違ったかもしれない)。私がよく考えていたのは、もしかしたら単に頭の回転が遅いだけという可能性もあるが、それでも嬉しかった。しかしそれで終わりではない。続けて担任は「確かに哲学は大切だ。しかし、大学を出たら哲学で何をするのか?」と問いかけてきた。私はそのとき考え込んでしまった。

東京に戻った私は、三年次に上がる際に専攻を変え、美学美術史コースに進むことになる。もちろん元から美術史に対する関心は高まっていたには違いないのだが、あのときから先生の言葉が脳内でリフレインしており、結果的に一つの判断材料になった(他にもいくつかある)。

このことをアテネの英語教師に話すと、「そこで哲学で何ができるか聞かれたことが君の大きな転換点になったんだね、なるほど。しかし、それならば、美術史で何ができる?と聞いてもいいかな」という風なことを言われた。毎度のことだが、鋭い疑問だ。彼は頭が切れる。これは少しジョークめかした言い方だったのだが、それでいて不快な感じがしないのは、バランスを常に考えているからだ。彼との会話は楽しいし勉強になる。(もちろん美術史の実用性を疑うことは誰にでも容易いのだが)

一応「私は学芸員資格を持っており、哲学を志していた時よりは状況は改善された。ほんの少しだけ」と返した。ここでも笑いが起きる。……このように書いていて、私はまた頭を抱えてしまった。私が美術史を選択したことは本当に正しかったのだろうか?状況は改善されたのか?むしろ悪化したのではなかろうか。うちの大学に美術史の院はあれど、哲学の院はなかった。もしも哲学を選んでいたなら、うっかり院に来てしまうこともなかったのでは?

こんな想像があまり役に立たないものであることは自分でよくわかっている。絶対的に正しい選択など有り得ないのは自明の理だ。そもそも哲学で卒論を書き上げる能力は私には不十分だった。美術史は私に合っていた。美術史を選んだことで、私が思考できる範囲は大幅に拡張された。その点においてあまりにも恩恵があったので、本当の意味での後悔はできない。

でも、人生に違う道があったのではないか、という想像をすることはそこまでネガティブな行為だろうか?


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