理系選択の失敗と「選択不可能性」(30チャday17、日記21)

まだノルマが少し残っているが、それに手を付けだしたら(昨日の宣言のせいで)日記が書けなくなるのでこちらに着手。後でどうにか終わらそう。

今日覚えたTOEFL単語は、銀河や惑星などの天文学関連だった。だから英会話でも、軽率に銀河にまつわるデイリーニュースを選んだのだが、これが間違いだった。まだ覚えていない専門用語がバンバン出てきて、チュニジア人の先生を困らせてしまった。「私は英語教師であっても科学教師ではないからね!笑」と。しかも2018年の記事だったし、それより普通に最新の記事を読んだ方がやりやすい。

でも昔は割と宇宙のことが好きで、父が買ってきたNewtonなどの科学雑誌をよく読んでいた。やはり見開きページできれいな銀河のイラストが出てくるとときめいてしまう。内容が分かっていなくとも。

このせいで私はなぜか「自分は宇宙が好きなんだ」と勘違いしていた。他に好きなものがほぼなかったから、相対的にまだ関心があっただけなのだ。このことはのちに悲劇を生む。高校の時の進路選択でうっかり理系を選んでしまった。まったく数学ができないのに。

あとはミステリマニアの叔母から借りていた、森博嗣のいわゆる「理系ミステリィ」(例:『すべてがFになる』)をよく読んでいたこともあり、理系的なものに少なからず憧れがあった。今思い返せば、私が好きだったのは森ミステリィの「衒学性」に過ぎない。なにか理系的な小難しいことが書いてあって、それが事件に絡んでくると面白いと思った。この事実に気が付くべきだった。これはまさに文系的関心だ。

高校では数学についていけず勉強が大嫌いになり、軽率な選択をしたことを後悔した。しかしこのことが、ある意味で私のなかの主要な動機づけとなっていった。

高校三年次の進路希望調査の際、私はもう後悔なんてしたくなかった。自分の軽率な判断で今後の人生が大きく変わってしまう、その重大さにおののいた。しかし私はそのときでさえ特にやりたいこともなく、心の底から好きだと言える趣味もなかった。でもだからこそ「自分で選択ができない」という事実に直面することができた。心の底から絶望した。そこで私は、何かを選択するには、まず「選ぶとはどういうことか」を理解すべきだと思い、哲学科を目指すことにした。その「選択不可能性」だけが、何も持たない私にとって、ありありと感じられる唯一の現実だった。

それで、私が哲学科で、この選択の問題に対してどのような(一応の)解決を見たかはまたの機会に。

……さて、今夜はノーランの宇宙SF映画でも観るか。


追伸:観ませんでした。でもTOEFLをきっかけに、また宇宙とか理系っぽいことを学んでみるのも面白いと思った。

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