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孤独に負けそうになったらゴールデン街に行こう

はじめに

初めまして。私は現在東京でフリーランスのエンジニアとして企業のシステム開発を手伝いながら、個人でプロダクト開発をしています。大学では政治を学んでいました。1〜2年生の頃はテニスサークルに入っていたため、ほとんど勉強をせず飲み会漬けの日々を送っていました。典型的な大学生らしい生活を送っていたわけです。しかし、3年生になりゼミに入ると、一転して勉強漬けで飲み会はほとんどない生活に変わりました。ちなみに、田口さんとはこのゼミで知り合いました。

大学卒業後は、SEとして都内のシステム開発の会社に就職しました。システム開発系の会社あるあるですが、残業漬けの生活を送っていました。ここでも飲み会はほとんどなく、平日は一日中パソコンとにらめっこして、休日は平日の疲れが溜まってるので遊びに行くこともなく家でゴロゴロと引きこもっていました。社会人2年目からは、フリマアプリを作るベンチャー企業にWebエンジニアとして転職し、そこで長らく働いていました。そして今年の4月からエンジニアとして独立しました。

なぜこの記事を書こうと思ったか?

私は、もともとサークル活動に打ち込んでいたこともあり、飲み会や人と話すことが好きでした。しかし自己紹介を見てもらうと分かる通り、大学の途中から現在に至るまで飲み会よりも勉強やパソコン作業など、個人で何かをすることが多い日々を送っていました。

そんな時にコロナが始まり、この自分の中に閉じた世界により一層閉じ込められていきました。コロナが始まってからエンジニアという職業柄か、通勤がなくなり家で作業をすることが多くなり、一歩も外に出ないという日が珍しくなくなりました。またタスクとしても黙々と個人でプログラムを書くのがメインでほとんど会議もないため、毎日言葉を発するのは合計1時間もないのではという日も増えていきました。リアルな知り合いをリアルに目にすることがないどころか、知り合いと話をすることすら無くなっていったのです。この時から、人とのつながりの希薄さに関して危機感を持つようになりました。

そこに更なる追い打ちをかけたのが「独立」でした。会社を辞めて、一人で仕事をすることになったことで、人と話すことがさらに減りました。また、人と話さないだけではなく固定で接する人もめっきりいなくなってしまいました。最初のうちは、やりたいことがたくさんあり、独立したという事実に対する興奮があったため、忙しく働き詰めることそれ自体が充実感に変わっていました。実際、毎朝起きてすぐにパソコンをつけ、夜寝る直前までパソコンの前にずっと座っている生活をしていました。しかし、そういったアドレナリンが出ている時期が一段落して自分の生活をちょっと引いた目で見てみた時に、なんとも言えない孤独が襲ってきました。「人とも会わず、一人で黙々と作業をして、何か目に見える成果が出ているわけでもない。こんな生活がいつまで続くんだろう。リアルな人とのつながりを失った今、この作業は誰のためにやっているのだろう。」そんなふうに思ってしまったのです。

そんな孤独な状況を打破しようと色々と試してみました。友人に会ったり、国際交流の集まりに行ったりしてみました。しかし、その場は楽しいのですがすぐにまた孤独な自分にもどっていました。ところが、ゴールデン街に立ち寄ったことで、この孤独な状況を打破することができたのです。

この一連の出来事を通じて得た感覚を「何を孤独に感じたのか」「ゴールデン街の何がよかったのか」を観点に詳細に振り返りたいと思っています。そうすることで同じような悩みを共有する人の助けになるのではないかと思っています。

孤独の正体とはなんだったのか?

そもそも、私が感じた孤独は何が原因だったのかを振り返ってみたいと思います。これは単純に人と話す機会がなくなったということではないと思っています。なぜなら私は会社に属している時でも、同じ職場の同僚と友達のような関係になることは滅多になかったからです。同僚と毎日雑談をする訳でもなく、ましてや飲みに行くことなど全くなかったのです。そのため、単純に独立したことで同僚がいなくなって会話量が減ったことや、同僚と飲み会や食事に行く機会がなくなったことが原因ではないと思っているのです。

では、何が問題なのか。そこには大きく2つの原因があると思っています。1つ目はある種の運命共同体的な人間関係がなくなったことです。そして2つ目は街とのつながりがなくなったことです。

まず、ある種の運命共同体的な人間関係についてです。これは目的性、頻度、時間的なスパンの長さがキーワードだと思います。つまり、ある種の運命共同体になるためには、ある時点で人生を切り取った時に同じ目標を共有していて(目的性)、ある程度定期的に会うことができて(頻度)、かつ長期的な関係性(時間的なスパンの長さ)を築ける、もしくは事実は別にしてそう思えることが重要だと思っています。

会社を辞めたことで失ったのはこの関係性でした。会社の同僚とは職場での目標を共有していて、平日は毎日会うことができて、ある程度長期的に同じ空間を共有することが前提となっていました。しかし、独立後に仕事で新しく会う人々は最終的なポイントで私とは目的が異なっていたり、契約期間が決まっているため期限付きの関係性であることが最初から双方了解されている点で運命共同体として認識することができませんでした。

次に、街とのつながりについてです。これは自分の存在する街に、自宅以外に居場所があるか、少なくともそう思える場所があるかということです。会社に属していた時期は、会社が都内にあったので自宅以外にオフィスという居場所がありました。しかし、独立して自宅以外に居場所がなくなり、都内にいる必然性がなくなりました。なんだか自分という存在が土地とのつながりを失い、宙に浮いた存在になってしまったように感じられたのです。

まとめると孤独感は「運命共同体的な関係性」と「街とのつながり」の両方の欠如に起因したものでした。さらに、「運命共同体的な関係性」が成立するためには「目的性」「頻度」「時間的なスパンの長さ」が重要であることも確認しました。

孤独を打ち破れなかった取り組みとその原因

さて、孤独の正体を分解できたので、孤独を解消しようとしてとった行動がなぜ問題の解決に寄与しなかったのか考えてみたいと思います。孤独改善のためにとった行動は次の2つです。1つ目は「友人と飲みに行く」、2つ目は「カフェに行って軽い会話を店員さんとしてみる」です。

まず「友人と飲みに行く」です。一番気軽にできる解決策として、都内に住む学生時代の友人と飲みに行ってみました。その場はとても盛り上がり、孤独を忘れることもできました。しかし、朝が来るとまたあの孤独感が襲ってきます。なぜだったのでしょうか。それは先ほどの基準に照らし合わせると、運命共同体的な関係、街とのつながり両方を作るに至らなかったためだと考えます。運命共同体的な関係を築く上で必要な「頻度」が満たされていなかったのです。友人と会うといってもお互い働いているので月一程度でした。そのため、運命共同体的な関係にあるという認識には至らなかったのです。また、街とのつながりに関してはいうまでもなく、居場所ができた訳ではないので満たされていませんでした。

次に「カフェに行って軽い会話を店員さんとしてみる」です。私はこれを実行するために、スタバに通い始めました。なぜなら、スタバでは10人に1人くらいの確率で店員さんとかなり親しげに話している人がいることに気づいたからです。他のチェーン展開しているカフェではあまりこういった風景を見かけなかったので、「店員と客」の関係ではなく、人間同士のつながりがとても素敵だなと思いスタバを選びました。

しかし、実際通ってみると孤独感の解消には繋がらないことに気づきました。それは、運命共同体的な関係に必要な目的性を共有していないため、またそれに伴い街とのつながりも作れなかったためです。まず目的の共有ですが、自分は人間的な関係性を求めていますが、店員さんはあくまでもお客様として対応しているので、そういったものを求めているわけではありません。それよりも、そもそも共有するバックグラウンドがないため、人間的なつながりになるのが難しいという逆説的な話かもしれません。次に、街とのつながりについてですが、この経験から街とのつながりについて大事な示唆を得ることができます。個人的にスタバにはよく通っていますが、ここを居場所だと感じたことはありません。それは、居場所とは「場所+仲間」のセットだからではないかと思います。場所としてはよく通っていても、仲間のいない場所は居場所とは認識しづらいと思うのです。

ゴールデン街はなぜ孤独に勝てたのか?

ゴールデン街は新宿歌舞伎町にある飲食店街です。2000坪(25mプール20個分)の狭い敷地に、木造のバラック長屋が立ち並び、その中に5−6人程度が入るカウンターメインの小さめな飲食店が300店舗ほどが所狭しと入っています。戦後の闇市が始まりで、再開発されることもなく当時の姿が引き継がれた飲み屋街です。かつては作家などがよく通う場所として知られていたようです。個人経営のスナックやバーが多いため、この町で繰り広げられるのはチェーン店のようなドライな人間関係ではなく、お店の店主とそこに通う常連客の人間味溢れる関係性です。

私は、この街のある一つのお店に通っているのですが、このお店を見つけたのは1年も前のことでした。それはコロナで人とのつながりの希薄さに多少危機感を覚えていた時期で、今までやったことのない一人飲みでもして新しい人とのつながりを作ってみようかなとぶらぶらしていたときでした。そのお店は比較的人通りが少なくてひっそりした場所の1階にあり、外の通りからも中の様子が見えるようになっています。見つけた当時の印象は今でも脳裏に焼き付いています。店内には30後半〜60代の男女が5〜6人ほどいて、ある人はスーツにメガネの男性、ある人はゴルフ帰りといった感じのスポーティーな服装で体格が良くて日に焼けた男性、そして奥の方には赤いワンピースを着た明るそうな女性、みんなでカウンターを囲み笑顔でグラスを傾けている様子が、木目調の店内とお店の柔らかい灯りに包まれていました。それは多様性に富んでいながらも、皆がそのお店の店主を中心に心地よいまとまりを見せているかのようでした。

それ以来何度もこのお店の前を通っていたのですが、毎回「受け入れてもらえるかな」「誰とも話せなかったらどうしよう。孤独になったら嫌だな」という一人で飛び込む恐怖に打ち克つことができず店の前でUターンしていました。やはり一人のみというのはハードルが高いです。そんな状況が1年続いたある日、前述の孤独感の高まりと飲み会後で少し酔っていたため強気になっていたというのも相まって、ようやくお店に入ってみる決意ができました。

それでは、なぜゴールデン街に行くことで孤独に打ち勝つことができたのでしょうか。それは、運命共同体的な感覚を他のお客さんと共有することができて、なおかつそのお店がその街との接点になってくれたからです。

まず、他のお客さんと運命共同体になれるという点についてです。ここでも目的性・頻度・時間的なスパンが重要であることは変わりません。しかし、そもそも目的性を築くことがなぜできたのかという点についてはスタバとの対比で、より詳しく振り返ろうと思います。そこには、「関係性を誰と築くか」、「その関係性を築く場がどれくらい限定性・排他性があるか」という2つの重要なポイントがあることに気づきます。

最初に、関係性を築く相手についてです。スタバの時は店員さんであったのに対して、ゴールデン街では図らずも他の常連客でした。スタバの時は店員と客という立場の違いを克服することができませんでしたが、ゴールデン街ではこの立場の違いを克服するのではなく、むしろ立場の同じもの同士で繋がるという転換ができたのです。

ゴールデン街によく来る人は行きつけのお店を持っていることが多いです。そういう人は、お店の人(ママさん、マスター)が好きでそのお店の常連になっています。お店に貢献してあげたいという気持ちがあるらしいです。店主のファンということもできると思います。その気持ちを共有することもできたので、同一の目的を共有するための一つがクリアできました。

そして、「関係を築く相手が誰か」以上に根源的で、重要な「関係性を築く場の限定性・排他性」についてです。この限定性や排他性があることで共通項がある可能性が高く、そのためそれを探そうとする気持ちになりやすく、結果として仲間意識が生まれる可能性も高まるのだと思います。例えば、スタバであれば、チェーン展開されているため全国どこにでも同じお店があり、目立つ場所に位置していて誰でもワンコイン程度払えば入店することができます。場所的な限定性も、敷居が高いという意味での排他性もありません。そのため、例えば隣に座った人と共通項がある可能性は低く、そのためそれを探そうという姿勢にもなりづらいです。結果として仲間意識が生まれる可能性が低くなり、その場で新しい関係性が築かれることはまれだと想定できます。

それに対してゴールデン街の今回のお店は、場所がゴールデン街の中でも少し外れた場所にあり、店内が外から見えるとはいえ、私の場合は発見から入店まで1年もかかっていることからも分かる通り、常連客のに入り込んでいくための勇気が必要です。つまり、限定性も排他性もかなり高いです。そのため、ある程度のハードルをくぐり抜けてきた同志として共通項がある可能性が高いし、それがあるのだろうと期待する気持ちも高くなるので、それを探そうという姿勢にもなりやすくなります。結果として仲間意識が生まれやすく、関係性を築くことが相対的に容易なのではないかと思います。

このように、「関係性を誰と築くか」、「その関係性を築く場がどれくらい限定性・排他性があるか」のポイントが押されられていたためゴールデン街では共通の目的性を持った関係性を作ることができました。

そして、頻度と時間的なスパンについてです。ゴールデン街で常連客と仲良くなれた私に次に必要なのは、彼・彼女らとある程度の頻度で長期間関係性を持ち続けることができると想定できることです。この点に関しては問題なくクリアできました。彼・彼女らは毎週飲みに来てる人が多いので、何回かお店に通えば再会できる可能性が高いこと、また彼・彼女らのお店との歴史は年単位なので今後も長期的な関係性を期待することができることが会話をした時点でわかっていました。

次に、街とのつながりについてです。常連客と運命共同体的な仲間になることができたら、既にそのお店が私の心地の良い居場所と感じられました。そのため、その後は吸い寄せられるように通っています。また、前回の来店からちょっと時間が空くと「そろそろまた行かないと」というちょっとした嬉しい義務感のようなものも生まれています。

このようにゴールデン街で行きつけのお店ができたことで、孤独に打ち勝つことに必要な「運命共同体的な感覚」と「街とのつながり」を持つことができたのです(まだ行きつけのお店ができたというには気が早いかもしれませんが笑)。

この経験をするまでは、新宿という街に自分の居場所を全く感じていなかった私は、この街がつまらないから違う街に住んだら面白いことがあるはずと思っていました。毎日のように賃貸物件のサイトをあてもなく閲覧しては、この街に引っ越したら楽しくなるかもという妄想を膨らませていたのです。

しかし、この経験をしてからは面白くないのは街ではなく、街を平面的、無機的にしか体験していなかった自分が原因だと気づきました。そして、新宿という街をもっと多面的に、有機的に楽しもうという気持ちになってきました。今までは街の中に自分と自分の用事をこなすための何かしか存在していませんでした。しかし、これからはそこに暮らす仲間、働く仲間という登場人物を追加して、より立体的に街の姿を捉えられるようになろうと思っています。

まとめ

ここまで読んでいただいてありがとうございました。もし孤独に悩まされて、私が感じた感覚が当てはまるときは勇気を出してゴールデン街に行ってみてください。きっと視界がパッと開けて、孤独でどんより映っていた目の前の光景が、夜のネオン街の光も相まってキラキラした希望に満ちた光景に変わるはずです。


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