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徒然なるまま~希死念慮と自己矛盾と他人任せ

久々にnoteを開いた。
色んな人の色んな記事を読んでいて、ハッとさせられた表現があった。

「実行には移さない。決して実行しないという自信もある。それなのに、なんとかして消えてしまいたいという感覚が、実際に自己をすっかり支配している」

まさにこれだ。自分をずっと支配している感覚。
小さい頃からそうだった。
「いなくなりたい」と常に願っていたし、今も願っている。
毎日「死にたい」「消えたい」「いなくなりたい」と心の中で唱えている。
と同時に、それを実行できない、実行する勇気がない自分のことも分かっていて、さらに絶望する。
毎日その繰り返し。

病院に通うことは去年の夏にやめてしまった。
通っても薬を飲んでも何も変わらないことが分かったから。
医者の前では「最近すっかり元気になりました」という風を装って、
薬も指導のもと減薬し、ゼロにし、無事卒業、という体をとった。
実際には、通い始めた頃と何も精神状態は変わっていない。今すぐいなくなりたい。
ただ激昂することは減った。
子どもへの影響はゼロとは言えずとも少なくなった気がするので、とりあえず当初の目的は達成したと思っている。

そもそも2週間に一度、5分の診察で何がわかるというのだ。
機械的に「最近どうですか」と聞いて、「ではこのままの処方でいきましょう」とか「ちょっと処方を変えてみましょうか」とか言っておしまい。
診察に意味を見い出せない。
カウンセリングに通うべきなのか。でも高いしな。

病院に通う前と通ってる間と今現在で、心境は変化なし。いつでも「いなくなりたい」。

アダルトチルドレンは〇〇しやすい、とかいう話を最近よく見るようになって
もちろん、大抵私は当てはまるのだけど、
「え。これって誰でもそうなんじゃないの?」と思うような特徴もよく書かれている。
だから、もう自分のこの心境がどこな原因で来るのかよく分からなくなってきた。
別にアダルトチルドレンだからではないんじゃないのか。
家族だって(感情のコントロールは下手だった気はするけど)(夫婦喧嘩を子どもの前でなんてしょっちゅうだったけど)良くしてくれたし、
周りにも基本的には恵まれていた、し、恵まれている。
私だからダメだったんじゃないか。私だからこんなに捻くれて育ったんじゃないか。私だからこんなに生きづらいんじゃないか。
もっと過酷な環境で苦労してきて、それでも明るく笑って生きてる人はいっぱいいる。
全部自分が悪いんだよな。

矛盾しているようだが、多くの自殺企図者は、自分以外の人々は元気に幸せに生きてほしい、自分だけが世界にとって不要であり迷惑な存在なのだと思っている。だから他の人が死ぬのは嫌なのだ。

そうなんだよ。
自分だけが世界に不要なんだよ。やっぱりこんなやつ、いなくなった方がいいんだ。いなくなるべきなんだ。
……でも結局実行に移せない臆病な自分。

私がいなくなることで、私の周りが幸せになれるなら。
決して周りのことを考えなかったわけではない。
考えに考えて、きっとこれが周りを幸せにする唯一の手段だから。

あなたの大切な人が死んでしまったのは、あなたのことを忘れていたからでも、見捨てたいと思っていたからでもなく、最期まであなたの幸せを強く思い、溢れるほどの愛情を抱きながら亡くなったのです。

臆病な自分は、結局何も自分ですることができず、
重い病気にならないか、交差点で車が突っ込んでこないか、トラックの荷が急に歩道に崩れてこないか、
そんな他人任せなことを考えながら、今日を生きている。