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無知

 無知というものは、ある種、とても強いものであるように感じておりまして、英語を話せるようになるために努力できたのも、その無知があったからこそだと思います。
 どの程度を「英語を話せる」と定義するのかは、人それぞれ異なるでしょうが、僕の場合は、「ネイティヴの方々が複数人いるグループで話せるようになること」としております。怠惰になれる方法を常に探しております僕ですので、目標は高く。とても重要なことでございます。
 無知と言いましたのは、英語を話せるようになることを、標準語を話せるようになること(僕は関西弁を喋ります)と同じグループに入れて考えていた僕の思考法に対してでございます。
 英語と日本語では、みなさんもご存知の通り、文法や語彙といったものが全く異なるものでございますので、標準語を話せるようになることとは、少しばかり次元の異なることでしょうけれど、無知だった僕は真剣にそう考えておりました。義務教育課程で、基盤となる文法や語彙は頭にあるはずだ、そう感じておりましたので、あとは、ネイティヴの方々がどのように話すか、その要領を得ればなんとかなるだろう、そういった思考法でございました。いくら標準語を話そうと思っても、標準語を完璧に話す関東の方々のようにはなれないという自覚はありましたので、ある種の諦観とあっけらかんとした感覚でもって、英語も捉えておりました。
 繰り返し聞いて、鏡の前で真似をしてみて、思ったことを英語で考えてみて、独り言をぶつぶつ英語で呟いて、脳に、口に覚えさせることをひたすらに繰り返して行ないました。オランダ語を母国語としながらも流暢な英語を話すオランダ人は、頭で考えるときに英語で考える、ということをどこかで仕入れておりましたので、真似してみよう、そう思ったからでございます。また、俳優さん方が大河ドラマなどに出演する際に、独特の方言を習得するために、専門の講師にレクチャーを受けるということもどこかで仕入れておりましたので、それを僕自身が個人で徹底的に行えば良いのではないか、そうも思っていたからでございます。
 これをどう表現したら良いか分からない、そのようなときは、便利なスマートフォンがありますので、そのたびに調べて、新しく得た情報で独り言を呟き始める、というような繰り返しの日々。
 どうして英語を話せるようになりたいと思っていたのか、それは単純でございまして、英国人の話し方がかっこいいと思っていたからでございます。bやpの破裂音をこれでもかというくらいに破裂させながら話す彼らに、憧憬の念を抱いておりました。比較的ゆっくりと日本を話す僕でございますので、乱れ打つように話す彼らの言葉を初めて聞いたとき、「cool」そのように思いました。十代の頃でしたので、「cool」と感じるものに対しては、ひたすらに「cool」で、どうにか手に入れたいものでございました。もちろん、英語を話せるようになって、海外の方々とも話してみたい、そのようにも思っておりましたが、「cool」よりは優先順位の低いものでございました。「cool」恐るべし。
 そのような無知と憧憬の念でもって突き進んで、ある程度の「英語を話せる」というところまで到達しましたが、まだまだ突き進むべき道は長く長く続いておりますので、当時の無知を自覚してしまった現在ではございますが、より慎重に、懐疑的な目を僕の言葉に向けながら、無知が作り上げてきた言葉を成熟させていきたいと感じます、今日この頃でございます。
 英語を話せるようになりたいと感じるている方は、無知を装って突き進むことをおすすめいたします。ともに精進してまいりましょう。

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