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特別感

お家へどうぞ。
そんな招待状が届けば、
いろんなお家を訪問してみたいな、
ときどき、そんな気持ちがふつふつ湧いてきます。
ないをしたいか、
特にそんなことはありませんが、
コーヒー片手にゆったりとおしゃべり、
それだけ。
道端で買い物袋を提げている人々を見ると、
今晩はなにを作るのかな、
どんなものをストックしているのかな、
どのように調理し、
どのように片付けるのかな、
次から次へと覗いてみたい事柄出てくるわけでございます。
基本的には、
僕は、母のやり方を踏襲しているように思いますが、
それでも、
母のように数十年とコンスタントにきっちり積み重ねているわけではなくて、
まあ、いっか、
そんな気持ちが徐々に徐々にお家の中を満たしていっておりまして、
まあ、いっか、
その恐ろしさを体感する毎日でございます。
子どもの頃、
僕の友人が遊びに来るとなれば、
母は普段より少しだけ綺麗にものを整頓して、
普段は敷かないランチョンマットを敷き、
少しばかりの特別感をお家の中に漂わせておりました。
その特別感が僕は好きでございまして、
自分の家ではありながら、
少しばかりうきうきしておりました。
友人が来ない普通の日に、
試しにそのような特別感を演出してみようとしましたが、
誰かを迎え入れるんだ、
そんな気分が伴っていないからか、
どこかしらけた気分が襲ってきたのを覚えております。
これじゃないんだよな、
そんな。
歳を重ねて、
誰かをお家へ招待するときは、
そんな特別感を演出するよりは、
いつも通りのあるがままの状態で、
誰かを迎え入れたい人になりましたので、
お家の中の「まあ、いっか」が、
特別感で押しやられることはありません。
誰かのお家の中という秘密の空間の、
特別感で満たされた空気を味わいたい、
そう感じているだけなのかもしれません。
行くんだから特別感を演出して、
そんな傲慢な欲求に聞こえてしまいそうですが、
そうでは決してなくて、
子どもの頃に味わったあの特別感を、
懐かしいな、
そのような気持ちでもう一度味わいたいな、
そう思っているだけなのでしょうね。
特別感、演出する人は多いのでしょうかね。
興味深いところでございます。

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