見出し画像

いつでもkittyがトイレを済ませることはgood job。
彼女にとって。
指の間に挟まったトイレの砂を、
ぱらぱらと少しばかり撒き散らせながら、
僕たちのいるところに戻ってきますと、
good job, my boy
彼女は言います。
始めの頃、僕は、
トイレってgood jobなんだ、
くらいにぼんやりと思っていただけで、
深くは考えておりませんでしたが、
一度尋ねてみますと、
そこには大変興味深い、
二人の絆を物語る時間がございました。
kittyは以前お伝えした通り、
道端にダンボールに入れられていた捨て猫でございましたので、
母猫というものを僕たちは知りません。
誰にどうやってそこに連れて来られたのかも知りません。
ですが、
彼女の友人がkittyを発見したとき、
そして、それは彼女がkittyとの初めての夜を過ごしたとき、
お医者さんによると、
kittyは生後二、三ヶ月だったようでございます。
写真を見せてくれたことがありますが、
掌に乗る小さい小さい無垢な姿で、
こんな小さい命でダンボールの中よく生きていてくれたね、
そう思わずにはいられない姿でございました。
Who could leave this tiny cute boy on the street?
彼女は訴えますが、
まさにその通りでございまして、
なんて心の鋼鉄な人なのだろう、
僕も思わずにはいられません。
その人がそうしたときの背景があったとしても、
理解しがたい選択でございます。
とにかく、
彼女はそんな小さなkittyと一晩を過ごしまして、
手放せない気持ちから、
ともに生きていくことを選択したわけでございますが、
その後の数週間というものは、
困難を伴うものであったようでございます。
kittyはトイレをうまくできなかったようで、
排泄をうまくできない、
そのことは命に直接関わることで、
彼女はそのときを祈るような気持ちで待っていたようでございます。
そして、
kittyがトイレをできたとき、
my boy
ぎゅっとハグして安堵したようでございます。
それがたとえ、
彼女のベッドの上であったとしても。
それから、
kittyは何度かベッドの上でトイレを済ませてしまったそうで、
トイレとはトイレでするものだ、
そのことを教えるのは時間がかかったそうですが、
最終的には、
トイレはトイレでしてくれるようになったようでございます。
そのことがあるので、
kittyがトイレを済ませることは、
good jobであり続けているようです。
生きるために排泄をして、
その適切な場所も覚えて、
たしかにgood jobでございます。
彼女とkittyがともに過ごしてきた時間を、
僕がkittyと彼女と過ごしてきた時間を、
その長さで越えることは物理的にあり得ませんので、
羨ましいなあ、
そう感じる自分を否定はできませんが、
その時間の話を聞くたびに、
とても心が温まるのを感じます。
彼女とkittyの絆の原点とも言える時間に、
僕は、第三者ながら、
大変な感動、感謝を抱いております。
その気持ちを不器用であったとしても、
二人に伝えられるようになりたいですね。

少しでも良いなと感じていただけたなら幸いです。 Instagram : clemandhiro こちらもどうぞよろしくお願いいたします。