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最近オザケンに教わった、ちょっと幸せな人生の考え方。

数日前、筒美京平さんが亡くなられたというニュースが流れていた。どんな人だったっけ・・・と、ネットニュースにある作曲一覧に目を通す。知ってる曲、聞いたことがある曲、えぇそれも?みたいな曲の数々。頭が混乱しそうなくらい多岐にわたっていて、逆に代表曲はこれ、と言えないスゴさを感じた。

そんな中、オザケンの名前に目が留まった。

オザケンを、よくは知らない。というと、オネエサンには申し訳ないけれど。

オネエサンと言っても、知り合いのこと。実の姉という意味ではない。年上で、頭が良くて勉強が出来る、歳も違えば話す内容も違う、全てにおいてウンと前を行くオネエサンだ。いつかあんな風に、とはおそれ多くて思ったことはない。でも、なんだか面白いオネエサンだな、とは思っていた。今どうされているのかは知らない。

そのオネエサン、とてもオザケンのことが好きだった。昔、その良さを力説してくれたな、という記憶だけが残っていて、その内容までは覚えてない。当時の私には、オネエサンの話は難しかったです。オネエサン、ごめんなさい。でも、オネエサンは面白かったです。たくさんの話をありがとうございました。

今回、ニュースの中でそんなオザケンの名前を見つけ、オネエサンを懐かしく思い出しながら、筒美さんがオザケンへ提供されたという「強い気持ち・強い愛」をYouTubeで聴いた。

筒美さんの話で始めておきながら、筒美さんが提供された「曲」の話を書きたいわけじゃないのは少し気が引けるけど、オザケンが書いた「歌詞」が、やさしく心に届いたので、今日はそちらの話。

著作権とかややこしい話は面倒なので、歌詞は調べる楽しみを、ということにして、ここには自分が思ったことだけを書いておきたい。

そもそも、この歌詞が何を歌っているのか、ホントのところは知らない。いや、分からない。オネエサンもオザケンも、頭が良すぎる。二人とも、私には理解出来ない世界が、頭の中にありそうだ。オネエサンは、だからオザケンの世界を理解出来たのかもしれない。

でも大丈夫。本当に頭の良い人は、人を縛らない。いや、縛らないから頭が良いのか。とにかく、聴き手の解釈に委ねてくれると、勝手に思うことにした。正面から紐解けそうにはない代わりに、カシコイ人の余裕で、自由な解釈を許してくれるだろう。というわけで。

人生、山あり谷あり。とはよく見聞きする言葉。確かにそうだ。実際、上り調子の時ばかりなはずがない。いつも前向きに!と強調されたり、ポジティブしか受け入れない!というスタンスも、なんか違う。

だからといって、これから先の人生に「谷がある」とも、積極的に思いたいわけがない。出来れば「山あり谷あり」は、過去の回想で使うくらいにしておきたい言葉だ。

オザケンは、未来に谷があるとは歌っていなかった。無理なポジティブの押しつけも感じず、その代わりに、ちょうどいい感じの幸福感をくれた。毎日を、山ではなく階段に例える中、そこに下り階段については歌っていない。そのことが、印象的だった。

延々と続く階段は、もしかしたら山よりキツイことがあるかもしれない。そういう意味で、妙なポジティブさだけの違和感もなく、素直に聴ける。ただ、その延々と続く階段をずっとのぼっている、と歌っていた。

たったそれだけなんだけど、人生は階段を「上りきって」終わるのか。なんかいいな。そう思った。

時々休みながら、という私の勝手な注釈付きで。

ついでと言ってはなんだけど、強い気持ち・強い愛、そういう「強さ」の意味も、ずいぶん大人になった今は、受けとめ方や解釈が変わった。こんな時本当に、年齢を重ねていくことって悪くないと感じる。なんかいい。

さぁ、今日もコツコツ階段をのぼっていこう。それが緩やかでも、急でも、コツコツと。

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