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保育と結果と小説

昔知り合いの保育士と会話をしていたら
「私は結果がわかっていないと映画や小説は見れない」
と言う人がいた。
サスペンスなどであれば
「最後の部分(結末)を読んで犯人がわかった上で最初から読む」らしいのです。

私の発想にはないので衝撃でした!

この人の保育は
かなり正確でした。
終わりを決めて
1年間の保育をかなり計画的に進めていました。
もちろん子どもの興味関心は
予定していても変わるのでそこは
臨機応変に対応していた。
計画する時に何本もシナリオを
考えているイメージである。
4月の新学期が始まるまでに
全てを決めていた。

つまり小説と一緒で
終わり(子どもの三月の姿)を確認して、その間の物語(保育)は楽しく過ごしていた。

優秀な保育士だった。

別の機会にその先生に
「努力」ってなんですか?
って聞いたら「当たり前のこと」
って答えた。
優秀な先生は常に迷いもがきながら
答えを出しているんだろう。

私の好きな物語の結末は
こちら側に結果をなげかけられる
終わり方が好きだ。
一般的にはもどかしい結末だと思うが
私はそのなんとも言えない感情が
好き。

だから保育も子どもが何を受け止めて
何を考えたのか。
を大切にしていた。




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