見出し画像

有限になるということ

たまに手紙のやり取りをしている友達がいる。
以前手紙に書かれた内容の一つに、

“手紙を書く事で自分の時間が有限になる。そんな感覚になれるから手紙を書く相手がいることがありがたい。”

というようなものがあった。
忙しい中できたスキマ時間。ぼーっとしてたら何となく過ぎてしまう時間を、「これだけある」という意識を持って使う。そうすると、その時間が、あるんだかないんだかよくわからないぼんやりしたものから、手にとって感じることが出来るものになる…という様な感覚だろうか。
「有限になる」という彼女の表現がしっくりきて、なるほどなぁと思った。

昨日、自宅で思いがけず1時間程度暇な時間ができた。何もしないのも勿体無いので、食洗機周辺の狭いスペースの拭き掃除をした。放っておいたので油と埃が上に積もっており、水拭きだけではキレイにならない。そこで、普段使わない台所用スプレーをかけて拭くと、テレビショッピングの様にキレイになった。棚の調味料の埃をとり、棚を拭いた。
そして、その狭いスペースの掃除をしていると、だんだんそこが“有限”になっていくのを感じた。何だかよくわからないスプレーは、油汚れをキレイに落とすスプレーになり、よくわからない埃をかぶっていた瓶はちゃんとゴミになり、どれだけ汚れているかわからない棚はその全容を知ることができた。

よくわからないモノって怖かったり億劫になったりひるんでしまったりするけど、“有限”になるっていうのはそれを把握して管理する事なのだと思った。そしてそれは心地よいものだと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?