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コーヒーが好きすぎる奴

コーヒーが好きだ。
考えた人、神だと思う。
豆を煎って、それを挽いて、お湯をくぐらせて
抽出された液体を飲み物としていただく。
よく考えたものだと思う。

ちょっと調べてみると、もともとコーヒーはその実をつぶして脂を加え、丸めて団子状にして食べるというところから始まっているらしい。
それから、実と種子を煮つめた煮汁を飲むという過程を経て、その後、種子のみを乾燥させたり煎ったりしたものを粉にして消費するという、現在我々の馴染みある方法に辿り着いたのだそうだ。
やはり、はじめから今日のような形式で消費されていた訳ではないようだ。
人々の長年の試行錯誤を経て、だんだんスマートな消費の仕方に進化していったのだろう。
やはり先人達は偉大である。

ついでに、コーヒー豆の起源についても気になることがあったので紹介したい。
コーヒー豆の発見には諸説あるようだが、有名な話の一つに、現在のエチオピアにあたる地域で羊飼いをしていたカルディという名の少年が、羊たちが牧草地に生えている木の実を食べて興奮状態になったのを見て、その実の効能を人々に伝えたことから広まったという伝説があるらしい。

すぐさま思った。カルディと言えば、よくイオンモールとかに入っているあの店じゃないか!
あの、よくイオンモールや百貨店とかに入っている輸入食料雑貨店である。
もしかしてこのカルディ少年とやらがあの屋号の由来なのか!?と思い、公式サイトで確認したら、やっぱりそうであった。これはなかなか実用的なトリビアである。イオンや百貨店なんかで「カルディ」を見かければ、ここぞとばかりに披露できるじゃないか。一つ賢くなった気がしてうれしい。

ちなみに同じコーヒー関連で思い出したのだが、今や世界のコーヒーフランチャイズの大御所である「スターバックス」。この「スターバックス」という屋号は、アメリカの有名な小説の登場人物の名前に由来していることはご存じだろうか?
この屋号は、捕鯨を題材にしたアメリカの小説『白鯨』に登場する捕鯨船の一等航海士スターバックという人物から由来している。作中では、優しくも勇敢で、誰からも頼られる人望の厚い人物として描かれている。

調べてみると、「スターバックス」はアメリカのシアトルという港町で創業されたため、文学好きな創業者の一人が、港町だけに航海にロマンを感じさせる屋号にしたいとの想いで『白鯨』に登場する「海の男」の象徴であるスターバックから名前を拝借して決めた屋号ということらしい。

これは知らんかった。しかも、なんか良い話!

ぜひスタバを見かけたら披露したいトリビアである。
このトリビアを知っていてスタバに行くのと、知らないでスタバに行くのには大きな差がありそうだ。「おれはスタバの名前の由来までちゃんと知っているんだぜ」と優越感に浸りながら飲むフラペチーノはきっといつもより一段と美味しく感じられるに違いない。

少し脱線してしまったが、調べをすすめると、
日本にコーヒーが広まったのは江戸時代らしい。
正式に日本にコーヒーの輸入が開始されたのは1858年(江戸末期)で、日米修好通商条約締結によって許可されたとのことだが、はじめて日本の文献にコーヒーについて記されたのが18世紀末であることや、1820年代には長崎の出島に来ていたドイツ人医師のシーボルト(歴史の教科書でも習った人物!)が日本人にコーヒーの飲用を勧めていた記録があることからも、江戸時代中期か後期あたりにはすでに当時の有識者やお偉いさんなんかは、コーヒーを飲める機会もあったのかもしれない。
ちょんまげ頭で、「うん、今日は茶じゃなくて、コーヒーの気分じゃ、ブラックで持ってくるがよい!」とか言っていたのかもしれない。
そのころシロップやクリームなんてものはなく、そもそもブラックという呼び方もなかったかもしれないが想像は自由である。そんな妄想を膨らましてみても少し歴史を感じるではないか。

こういう歴史があって、我々は今日コーヒーの恩恵を享受できていると思うとありがたいことだ。
あらためて先人たちに感謝である。

***

タイトルを「コーヒーが好きすぎる奴」としたことからも分かるように元々、自分のコーヒーについての想いを語る記事にするつもりだったのだが、なんか長々とコーヒーの歴史を紹介してしまった。本来なら「コーヒーの歴史」ぐらいにしておかないといけないのに、これじゃタイトル詐欺である。訴えられても嫌なので、ちゃんとコーヒーについての想いも書きたい。

では早速、書いていこうと思うのだが、さて何から始めればいいものか。
いろいろと書きたいことが多すぎて、今、頭の中がとっ散らかっている。
困った。このまま適当につらつらと書き始めると、後で大変なことになることは目に見えている。取り返しのつかないことになって、また一から書き直し!というのは嫌である。なので、ちょっと考えた結果、今回はポイントを絞って書いてみようと思う。

・こだわり
・コーヒーの魅力1
・コーヒーの魅力2

なんか統一感のない羅列だが、今回はこんな感じで行きたい。
次の段落から早速始めたいと思うのだが、この記事をここまで読んでくれた人の中には「コーヒーの歴史も聞いたし、もう読み疲れたので、別にあんたの個人的なコーヒー愛なんかに興味ないわ」という人もいるかもしれない。僕も読者だったら、きっとそう思う。ここから以下は、完全に、ただの30歳、一般男性のコーヒーについての想いが綴られているだけである。別に読んだって何の得にもならない。不要と思えばぜひスキップしていただきたい。
それでは語っていく。

・こだわり

コーヒーと言えば嗜好品である。タバコや酒と一緒。多くの場合、嗜好品というものはどれも、その人の好みやこだわりが現れるものである。タバコだったら、この銘柄で、何ミリがいいとか。酒であれば、このメーカーで、何年物がいいとか。コーヒーにしてもそうだ。豆の種類。挽き方。淹れ方。どれ一つとっても人それぞれに拘りどころがあるものだろう。実際、周りのコーヒー好きの人達と話してみても、みんなそれぞれ、この豆がいいねとか、こういう淹れ方をすると香りがいいんだ、とか色々とこだわりがあったりするものだ。このように嗜好品とは非常に奥が深く、個人の好みやこだわりが強く現れるものである。

 ところで、今回、僕はこの記事に「コーヒーが好きすぎる奴」とタイトルをつけて、「自称コーヒー好き」を前面に出しているが、たしかにそれは紛れもない事実である。コーヒー大好き。しかし、じゃあ、こだわりは?と聞かれれば、特にないのである。

え?と思うかもしれない。そもそもタイトルを「コーヒーが好きすぎる奴」と銘打ってまで、今こうしてコーヒー愛を綴っているくらいである。
そんな奴がコーヒーにこだわりがないだとお!?って。

そうです、そんなにこだわりはないのです。

「コーヒー好き」と言うと、香りがどうだとか、酸味がどうだとか、苦みがどうだとか、何かとこだわりイメージが付きまとうが、実際あまりその辺りを気にして飲んでいない。もちろん多少の好みぐらいあるが、基本的にコーヒーであれば何でも良いのである。市販のドリップコーヒーでもいいし、インスタントコーヒーでもいい。缶コーヒーの味も好きだ。とにかくコーヒーであればすべて平等に好きなのである。
こんな具合で「コーヒー好き」を自称していると拘り派の人には怒られるかもしれないが、一応、コーヒー屋さんで本格的なコーヒーを飲むのも好きだし、自宅にコーヒーミルもあるので、たまには自分で豆から挽いて飲むこともある。ちゃんと一応、そういう本格的な(?)活動もしている。ただ、それもあくまで気分でそうしているだけであって、そこに自分の求める味がある訳でもなければ、何かこだわりがある訳でもない。したがって行きつけの店もないし、自宅で挽く豆だって、いつも同じ、近所のコーヒー屋さんで買う一番安い豆である。缶コーヒーやインスタントコーヒーなんかでも、よく買うメーカーぐらいはあるが、基本的にどれを飲んでも美味いと思うし、そのメーカーがなければ別に他のメーカーのコーヒーでも全然構わない。そんな具合である。
なので僕のコーヒーに対するこだわりは、あったとしてもその程度のもので、基本的にほとんどないと言っても過言ではない。

しかし、このようにコーヒーの味に関してはかなり緩いのだが、それでもこんなに身体を張って「コーヒー好き」を自称するのにはそれなりの理由がある。

コーヒーを飲む量(頻度)である。
コーヒーなら冗談なしでいくらでも飲める。いや、ガチで。
ホントに文字通り何杯でもいける。虚言壁ではない。

例えば、近頃、僕はコンビニコーヒー(缶コーヒーではなく、コンビニに備え付けのコーヒーマシーンで豆から挽いてくれるコーヒー)にハマっており、よく利用している。これが手軽でとても美味しいのだが、このコンビニコーヒー、僕は一日に5杯も飲んだことがある。

急に何の自慢が始まったか?と思ったかもしれないが、あくまで具体例を挙げただけである。この日ばかりは特別だが、普段でもコンビニコーヒーを1日2杯以上飲むのは当たり前だし、それにプラスアルファで自宅でもコーヒーを何杯も飲んでる。
何を持ってそんなにたくさんコーヒーを摂取する必要があるのかは自分でも分からないのだが、身体が欲するのである。仕方ない。

また、ほかに例を挙げるとすれば、インスタントコーヒー。とくにこのインスタントコーヒーというやつは、いくらでも作って飲めるから、飲み放題的な感覚になってしまうので危険だ。あるとむやみやたらに飲んでしまう。

以前の職場で、オフィスにインスタントコーヒーを置いていたのだが、一日中オフィスにいる日などは、気が付くととんでもない量を飲んでいたものだ。300mlぐらい入るマグカップで1日、優に5杯以上は飲んでいたのでおそらく1.5リットルぐらいは普通に飲んでたのではないだろうか。
インスタントコーヒーを作る度に、給湯室に足を運ぶのだが、夕方ごろになると、ふと我に返り「今日、何回、給湯室来ているんだ?」と思うこともよくあった。
ついでに、ちょっと話が逸れるが、この給湯室、ちょうど会社の事務の手前に位置していたので、コーヒーを淹れに行く時に毎回事務の前を通らなきゃいけないのが、ちょっと厄介だった。
人目が気になるのだ。よくそこを通るので、事務の社員に何か思われていやしまいかといつもマグを片手にハラハラしていた。
もしかしたら「アイツはちゃんと仕事しとるのか?」ぐらいは思われていたかもしれないが、答えは風の中である。
だってポットが給湯室にしかないだもん、しょうがないじゃないか。
ちゃんと仕事はしていたので大目に見てほしい。
それもこれも僕のせいじゃない。
すべてインスタントコーヒーが悪いのである。

以上、ちょっと話が逸れたが、これらの話から、僕が毎日どれだけコーヒーを消費しているかお分かりいただけただろう。愛を持って消費している。
なのでコーヒーの消費量に関しては、別にだれと勝負している訳でもないが、誰にも負けない気がしている。

トップ・オブ・ザ・コーヒードリンカー、ここに君臨せり!

まあ、つまり何が言いたいかと言うと、こだわりとてないが、これだけコーヒーを消費していれば「コーヒー好き」を自称するに足るのではないか?ということだ。


・・・

と、ちょっと、今ここまで、書いてきて一つ思ったことがある。
僕はコーヒーが好きだと言っているが、別にコーヒー自体にこだわりがある訳ではない。つまり「愛好家」ではないのだ。どちらかというと質より量を求めている。もしかしたら量だけで言えば、愛好家と同じぐらい、もしくはそれ以上に飲んでるかもしれない。しかし、コーヒーに関しての知識は全くと言っていいほどない。

そうなると、これは、僕はただただコーヒーを摂取するのが好きなだけなのかもしれない。
最初に「好き」というざっくりした言葉を使ったために、「好きと言っても、こだわりがある訳ではない」などと回りくどい説明をさっきまでしてきたが、きっと、これはあれだ。


カフェイン中毒



うすうす感じてはいたが、




たぶん、カフェイン中毒


文章を書いていると頭の中が整理されて、時に「そうか、そういうことだったのか!」と自分のことでさえ、改めて気付かされることがあるが、
まさかこんな所で文章の恩恵を受けるとは、、、

「コーヒー好き」と粋に語ってみたものの、
「よく考えてみたら、ただのカフェイン中毒でした」とはなかなかの尻すぼみである。

なんだか後味が悪くなってきたぞ、、、

これからコーヒーについて語ることも、このカフェイン中毒レッテルによって何の説得力もなくなりそうで怖い、、、

ああ、今まで書いた文章は何だったのか、、、

というわけで、僕はもしかしたらただのカフェイン中毒者かもしれない。
ただそうは言っても、コーヒーを愛して止まないから中毒になっている訳で、カフェインを取るのにもコーヒーという媒体じゃないとダメなのだ。
だから、あくまでコーヒー愛は本物である(必死)
なので、周りの人たちが僕のことをどう思おうがこれからも「コーヒー好き」を自称して行くつもりである、、、、

、、、

さ、さあ、もういいから、次の章へ行きましょう!

・コーヒーの魅力1

僕が思うコーヒーの魅力の一つを紹介したい。それはずばり、どんな場面にも対応できるTPO的万能性を備えているところである。僕はコーヒーは、どんなシチュエーションにも寄り添ってくれる、もっとも懐の深い飲み物であると思っている。
なんかフレーズがかっこよかったから太字にしてみたのだが、別にどこからか引用してきた訳ではない。他でもない、僕の言葉である。

思い出す限り、僕がコーヒーを飲むようになったのはたしか社会人になってからだ。学生の時はコーヒーを飲んでいた記憶がないので、たぶん社会人から。具体的なきっかけこそ覚えていないが、たぶん上司や先輩がよくコーヒーを飲んでるのを見て、自分も少しずつ嗜むようになって行ったのだと思う。
気付いた頃にはいつもそばにコーヒーがあったのだ。そう、いつもそばにコーヒーがあったのである。

2回言ったが、特に深い意味はない。なんとなく強調したかった。
でも、実際のところ、どんな時もそこにコーヒーがあったのは事実である。
だって、コーヒーなんていつでもどんな時も飲む。むしろ飲んでいない時がない。
仕事中、食後、ドライブ中、散歩中、読書中、映画鑑賞中、スイーツのお供に、タバコのお供に、口さみしい時に、眠気覚ましに、気分転換に、黄昏れたい時に、、、
考えればいくらでも思いつく。挙げだしたらキリがない。
コーヒーはどんなシチュエーションでも我々に寄り添ってくれる。TPOに応じて、癒しや安らぎ、時には刺激を提供してくれる。
こんな万能なドリンクほかにあるだろうか?

そこで、ちょっと想像してほしい。
上にあげた例のうち、どれでもいいので、そのシチュエーションを思い浮かべていただきたい。自分がその行為をしている、またはそんな気分だという想像をしてほしい。目を閉じてもいい。
さあ、どうぞ。


映像が浮かんだだろうか。


そして、その傍らにコーヒーを置いてほしい。
もちろん想像で。できればそのシチュエーションや雰囲気に合う容器に入れて。マグカップ、紙コップ、コーヒーカップ、缶でもいい。色々あるだろう。


浮かんだだろうか。


そして、今あなたが傍らに置いたそのコーヒーを手にとり、一啜りしていただきたい。

ほら、合う。

そう、合うんです。時間がある人は全部の例で試してみて欲しい。全部に合うから。

「適材適所」なんて言う言葉があるが、コーヒーの前にして、この言葉は効力も失うと言うものだ。なぜならコーヒーにとっては、すべてが適所なのだから。

しかし、前から不思議に思っていた。
なぜこんな様々な場面に対応できるか?と。TPO的に万能過ぎないか?と。この機会にちょっと仮説を立ててみようと思うのだが、僕が思うに、これはコーヒーの二面性にあるのではないだろうか。
コーヒーはよく眠気覚ましとして飲むから興奮剤という性質もあるし、気分転換にも飲みたくなるからリラックス効果もあるだろう。この興奮作用、リラックス作用の二つを兼ね備えているため色んなシチュエーションに対応できるのではないか?というセオリーである。

そこで、ちょっと調べてみた。

これらの作用は主にコーヒーに含まれるカフェインによるものらしい。カフェインは交感神経に働いて、神経を興奮させ集中力を高めたりする効果もあるのと同時に、副交感神経にも作用し、ストレスや疲労を軽減させるリラックス効果もあるのだとか。
また、コーヒーの香りもリラックス効果に大きく貢献しているとのことである。

ふうむ。

コーヒーには興奮作用とリラックス作用の二つの効果があることが科学的にも立証されている。
興奮とリラックス、普通なら拮抗するような性質が兼ね備っているのはとても興味深い。
ポケモンで言えば、水タイプと炎タイプを持ち合わせているようなものではないだろうか。そりゃ強い。色んな場合に臨機応変に対応できる。
まあポケモンは置いておいても、このように興奮効果とリラックス効果を合わせ持つ、このコーヒーの二面性こそが、様々なシチュエーションに対応できる万能性のエッセンスなのだろう。
これを僕の仮説としてここに提唱しようと思う。

話が飛んだが、それはさておき、さらにコーヒーは他の飲み物と比べ、フォーマルとインフォーマルの垣根が低いという点も大きな強みだろう。
僕は以前勤めていた会社で営業職をしていたのが、コーヒーはそれはもう色んな場面で登場した。

オフィスワーク、コーヒー。営業車の車内、コーヒー。
with 上司、コーヒー。取引先でお話、コーヒー。
会議中、コーヒー。タバコミュニケーション、コーヒー。
ビジネスホテル、コーヒー。お歳暮、コーヒー。

ビジネスのような少し堅いシチュエーションであっても、その空間にピタリとハマってくれるがコーヒーである。これがコーヒー以外のドリンクじゃ、そうはいかない。
取引先で「なっちゃん」がお盆に乗って出てくるだろうか。
会議中に資料を見ながら「ファンタグレープ」を飲むだろうか。
喫煙室で煙草を片手に「ヤクルト」を一気飲みするだろうか。
ビジネスホテルの部屋に「スプライト」が用意されているだろうか。

これらすべてのシチュエーションを引き受けることができるのはコーヒーのみなのである。

そして、よく考えてみれば、今、僕はこのコーヒーのフォーマル性を改まって力説しているのであるが、冒頭でも言ったように、社会人になってコーヒーを飲む機会が増えたということは、それが既に、コーヒーがそれだけ大人の飲み物であり、ビジネスのようなフォーマルな場で通用する飲み物だということを裏付けているのではないだろうか。僕があえてここで説明するまでもなかったかもしれない。
いずれにせよ、ビジネスシーンとコーヒーは切り離せない存在であることは明らかだ。フォーマルの場においても活躍する唯一無二のドリンク、コーヒー。コーヒー様様である。

以上のように、コーヒーはどんな場面にも対応できる万能な飲み物である。
そして、いつ何時でも変わらず、あの香りと味で我々を癒したり、鼓舞したりしてくれる。なんと最強の飲み物か。こんなオールマイティな飲み物はほかにないだろう。

TPO最強説。

これは他のドリンクにはないコーヒーならではの魅力である。

・コーヒーの魅力2

コーヒーの魅力。それはコーヒーそれ自体のみの魅力にとどまらない。
コーヒーが彩る空間や時間を含めてコーヒーを愛している。

いきなり、なんか鼻につく感じの導入だが、具体例を挙げるとするなら、たとえば、コーヒーを淹れる時間。あの時間はいい。ゆっくりとコーヒーに向き合う時間。豆から挽く場合だろうが、ドリップバッグだろうが、インスタントだろうが関係ない。お湯を注げば、瞬く間に芳ばしい香りが立ち上り、その香りに癒されながら、またお湯をゆっくりと注いでいく。そして、優雅な香りに満たされた空間で、コーヒーが出来るのをじっくり眺めるのだ。
ちょっとの間、アロマ天国へトリップである。最高の時間だ。

コーヒーを作るのには多かれ少なかれ手間がかかる。
しかし、この手間こそ愛すべきものだ。このちょっとした手間が仕事や作業の合間のワンクッションとして最適なのである。よい気分転換にもなる。コーヒーを淹れながら、その優雅な香りで癒されるので、「さあ、もうちょっと頑張るか!」って気持ちになれるのだ。たった少しの休憩でもコーヒーがそこにあれば、その休憩はワンランク上のものになる。こんなドリンクほかにない。

そんなこんなで、僕はこのコーヒーの淹れる作業が大好きである。コーヒーを味わっている時間と同じぐらい価値のある時間だ。コーヒーは淹れる時から飲み終わるまでがコーヒー。いわば遠足と一緒なのだ。

また、自分でコーヒーを淹れる以外にも、コーヒーを買いに行くのも好きだ。例えば、コンビニにコーヒーを買いに行く時なんかも良い。
これも、とても良い気晴らしになる。
缶コーヒーも好きだが、最近はコンビニコーヒーを飲むことが多い。
その日の気分によってアイスか、ホットか決める。どうしようかな?と考える時間も楽しい。アイスであれば、冷凍庫の中から氷の入ったカップを自分でとってレジに持っていく、ホットであればレジで申告してホット用のカップをもらう。
カップをもらったら、コーヒーマシーンへ。
カップをマシーンに設置して、ボタンを押す。
するとコーヒーマシーンが大きな音を立てながら豆を挽き始める。
しばらくすると、カップの真上に伸びている銀の管からコーヒーの液体がゆっくりと抽出されて、カップの中へ落ちていく。
そして、焦げ茶色の液体はカップの中で段々かさを増して、ブラックになっていく。そして、それをひたすら眺める。
出来上がったら、あとはその香りとともにコーヒーを味わうだけ。外で新鮮な空気を吸いながら味わうもよし、もちろん車で来ていればゆったりと車内で味わうもよし。
飲み方も気分によって変える。ちょびちょびとゆっくり堪能しても良いし、豪快にグイッと飲んでも良い。
もう説明はいらない。僕はこの一連の流れがセットで、コンビニのコーヒーが大好きなのだ。

例はこれぐらいにしようと思うが、僕の「コーヒー好き」は、コーヒー自体が好きということ以外にも、こういったコーヒーを淹れたり、買いにいく時間や手間も含めての好きという意味が含まれている。
また、それだけじゃない、日常の色々な場面、例えば、ドライブ中、読書中、散歩中。そんな時にコーヒーがそこにあるだけで、時間は優雅に、空間はオシャレになるのだ。冒頭で言ったように時間や空間を”彩ってくれる”のである。

コーヒーを愛すということは、そのコーヒーに彩られる空間や時間など、”コーヒーのある景色”を含めて愛すということである。

これも太字にしようかと思ったが、なんかクサい感じのことを言ってるので
それはやめた。でも、これが僕がコーヒーを好きな理由の一つだ。「コーヒーの魅力1」でも書いたTPOの話とも重なるのだが、コーヒーはいつでもどこでもその雰囲気にハマり、その空間をいい感じに演出してくれる唯一無二の存在である。こんなドリンクほかにない。(←これ何回言ってんだか、、、)
まあ、考えてみれば、理由として若干ミーハーな感じもするが、それはそれでいいのだ。むしろミーハーでいい。どのみち大した知識も持っていないのだから。コーヒーなんか気楽に楽しめばいいのだ。

***

以上。ここまで読んでくれてありがとうございました。
ちなみにコーヒー好きが高じて曲も作ってしまいました。
『ヒーコーブルース』という曲です。
最後にですが、時間があればぜひ見てください。
それでは。

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