ミクロロボット

 U氏は、超微細ロボットの開発者である。
 人工知能を持ったカプセル型で、1000分の1ミリ以下サイズにする量産製造のプロセスを確立させたことで、血液の中に注入することができるミクロロボットの開発に成功した。
 「これまでの電子部品の実装技術ではミクロロボットの実現は不可能でした。私が開発したプロセスは、簡単に説明すると、すべての構造物を1/100スケールに再現する3Dプリンタといえますが、このプロセスを繰り返すことでミクロのサイズまで到達できるのは私だけの技術です。」
 このミクロロボットは、医療分野では血管の中で細胞レベルで癌細胞を駆除することが可能になり、新たな癌治療方法として臨床試験にかけられている。また、動脈硬化につながる血管内壁に付着したコレステロールを剥離させることで脳卒中や心筋梗塞の心配はなくなり、さらには血中のコレステロールや栄養素も中和コントロールが可能な画期的な医療方法として、U氏のところには世界各国の企業や研究機関から、技術提携あるいは高額での買収の要請が押し寄せてきた。
 しかし、U氏には誰も直接会うことはできなかった。
 ミクロロボットの開発発表も、あらかじめ用意された動画での登壇であり、U氏がどこにいるのかも非公開であった。
 「ミクロロボットの技術を使えば、世界最強の軍事兵器がつくれてしまうことは誰でも思いつくだろう。肉眼では到底見えないし、金属探知機やレーダーでもチリやホコリに混ざる金属片よりも数千倍小さいので、どんなセキュリティも確実にクリアできる。
 まあ、そんなことをしなくても、各国首脳の目や鼻・口からでもミクロロボットを入り込ませてしまえば、いつでも簡単に、しかも合法的に暗殺することができるだろうし、独裁国家や武装集団なら市民の体内にミクロロボットを仕込んで言いなりにしてしまうだろう。」
 U氏は、信頼がおける助手一人をつれて、誰も入り込むことができないミクロロボットの研究所でもあり秘密基地の集中管理室のデスクから、人工知能が自動的に取捨選択してスクリーンに投影される世界のメディア情報やネット情報を眺め ながら、煙の出ないパイプをくゆらせていた。
 「先生が私利私欲からではなく、利他の心から研究をされてきたことは、私もよく存じています。だからこそ、先生のお供としてここまでついてきました。」
 「そのとおりだな。私の真意を理解してよくここまで協力してくれた。
本当に感謝している。世界の医療医術を一歩進めるためにこの技術を開発し たが、なんとか平和利用の道筋ができるまで、ここでもうひと踏ん張りして  くれたまえ。」
 「わかりました先生。しかし、世界各国の平和利用を国連合意させた程度では、軍事強国が国連協約を平気で破るでしょうし、テロや犯罪組織に加えて軍事兵器企業も黙っているとは思えないのですが」
 「そうなんだ。だからこそミクロロボットは、この集中管理室から全世界のミクロロボットを統制コントロールができるようにしておく必要があるんだ。血液中のミクロロボットは、コマンドひとつで機能を停止させ、排尿で体外に排出することもできる。その管理システムがこの研究所の機能だからな。」
 「平和利用が実現できるまで、頑張らないといけないことは判りますが、まだまだ時間がかかりそうですね。」
 「人類が利他の心に気づいて、価値競争の弊害や環境破壊と異常気象の連鎖を絶ち切り、世界秩序を変えるまでは、この研究所を含めたミクロロボットの技術は公開してはならない。それまで我々だけで細々とではあるが量産製造と集中管理を続けていくしかないのだよ。」
 U氏は、デスクチェアの大きな背もたれに身を預け、手に持った煙も吸い殻も出ないパイプを燻らせながら、遠い目でモニターを見るとはなく眺めていた。
 助手が尋ねた。
 「ところで先生、少しづつ量産を続けているミクロロボットは、どこに出荷されているのですか? いつどうやって出荷されているのかも全く見えないし、どこに届いているのかも皆目検討がつきませんので。」
 ここまでU氏についてきたと自負する助手ではあったが、ミクロロボットの製品出荷と、その供給先とのコンタクトについて、いまだU氏の秘密事項に含まれていることへの、不満と疑問がその言葉尻にはにじんでいた。
 「そうだな。そろそろ説明しておいてもいいだろ。」
 デスクチェアからゆっくりと立ち上がるU氏の口が「ニヤリ」としたことに助手は気づかなかったが、U氏は続けた。
 「最近のミクロロボットの臨床試験の成果で、脳細胞のタンパク質をミクロロボットで操作することで、思考ロジックや言動もコントロールができることが判ったことは君も知っている通りだ。」
 「メディアでも、犯罪者の更正やテロ組織の根絶にもつながる画期的な成果だと」
 「そうだね。」
 U氏はカートリッジ式のパイプを入れ換えてスイッチを入れると、ふぅーっと一喫つけた。
 「ところで、我々の研究資金は医薬品メーカーのZ社が全額出資している。」
 「はい、私もZ社の社員で、この研究所には出向扱いですので」
 そういいながら助手は少し誇らしげに胸を張った。
 U氏は助手の後ろに回り、助手の両肩に手をおきながら
 「優秀な助手であり、優秀なZ社の社員ということだな。」
 と軽く肩を叩いた。
 「ミクロロボットを安全かつ秘密裏に運搬するために最適なのは人体だよ。」
 U氏は助手の耳元でささやいた。
 「えっ?、ええ、なるほど。そんな手がありましたか」
 助手は少しゾッとしたものを感じずにはおれなかった。
 U氏は続けた
 「今、Z社はミクロロボットの平和利用を実現させるために、臨床試験を通じた治療施術による医療貢献と、ミクロロボットを核兵器と同様に国際秩序のなかに組み込もうと、国内外の政府系機関をはじめグローバルファンドやテロ組織とも戦い続けている。誰も気付かないがね。
 日本警察やFBI、CIA他、世界中が血眼になって嗅ぎまわっているので、もはや誰が敵で誰が敵すらよくわからない混戦状態になっているのだよ。それらは、情報戦であり国家枢密レベルでの交渉調略が水面下で続いている。」
 「そこまでとは。。。。知りませんでした。」
 「しかしだ、少しづつではあるが、Z社の理念に共感してZ社の活動に協力する政治家や官僚、企業団体も現れてきた。NPO団体や市民活動にも広がりを見せはじめてもいる。先日も、国連の平和維持活動会議にミクロロボットの平和的利用を国際条約として先進各国が結べるよう提案され審議もはじまっている。」
 「先生の理想とされる世界に向けて進んでいるのですね。
  この秘密研究所での活動が認められることは私もなによりです。」
 「しかしだ!」
 U氏の口調は厳しくなった
 「この混沌とした世界を、ミクロロボットがあれば人類のために、数多の問題を解決できるのだ。製造能力に制約はあるが、少しづつ世界に広げていけば、医療分野だけではなく国際平和にも必ず貢献できるのだ。」
 U氏は声をおとした。
 「そのためには事例が、実績が必要なのだよ。臨床試験だけでは足りないのだ。ここで量産製造したミクロロボットは、Z社を通じた臨床試験だけではなく、Z社の情報戦における調略手段としてもつかわれているのだ。」
 「えっ、それでは。。。」
 「数に限りはあるが、まずは我が国の最高意思決定機関にも提供されている。例えば。。。先日我が国の予算委員会で、国民の健康増進と医療保険負担低減のために、ミクロロボットの全国民接種が議員立法で提案された。Z社に敵対する医薬品メーカーの労働団体出身議員に、安全性面での些細なリスク事項と量産コストを指摘されて継続審議にはなったが、次の通常国会ではその議員にも賛成に回ってもらえるはずだ。」
 「まさか、ミクロロボットを思考統制の道具に?」
 「この研究所の集中管理システムでしかコントロールできないのだから、それは誰にも立証することはできないし、本人も心から、いや頭の中から、疑いもなくそう考えているのだから道義的にも全く問題はないだろう。 ミクロロボットが正しい方向、正しい価値観に導いただけのことだ。」
 「それは犯罪では?。しかも国家レベルでの。。。」
 「さらに研究を進めるためにも、さらに製造能力を高めるためにもまだまだ莫大な資金が必要なんだ。来年には国家予算規模の資金が調達できる。量産製造能力は一挙に増強され、この集中管理システムをWorld-Wideネットワークに拡大して世界中全人類の体内にミクロロボットを投与できれば、人類の健康増進とともに世界平和をも実現することができるはずだ。」
 「そんな。。。。それでは、私は世界中から犯罪者扱いに。。。。」
 助手は肩を落としてうなだれながら2歩3歩後退りした。
 しかし、ポケットから取り出した超小型銃をU氏に向けると、
 「あ、動かないでください。非常ボタンの位置は私も知っていますので。   もうそこまで進んでいるのなら、行動を起こすしかなさそうです。尊敬する先生には大変申し訳ありませんが、私は某国の諜報部員です。
 国の名前は意味がなので申し上げませんが。Z社の社員に潜り込んでミクロロボットの製造プロセスを入手するか、最悪の場合はその破壊焼却することが私の任務です。
 お世話になった先生を殺したくはないですから、製造プロセスの詳細データと集中管理システムの設計ドキュメントと一緒に私の国まで来ていただきます。」
 U氏は、両手をあげたまま、今しがたまで信頼する助手だった某国のスパイが 研究所のセキュリティシステムを解除する作業を、悲しみと哀れみのこもった眼差しで残念そうに見つめながら、U氏は自分の歯の裏側に隠していた集中管理システムのリモコンスイッチを舌で操作した。
 助手だったスパイが手を止めた。
 「あれ、先生。何でバンザイなんかしてるんです?
  あ、このピストルは。。。。」
 助手だったスパイは銃口をそらした。
 「あれ、今何をしていたんだろう。
  それに、ここはどこでしょう?
  あなたは。。。ところで私の名前はご存じですか?」
 U氏は助手の手から銃を受け取りながら
 「きみはZ社の社員で私の優秀な助手だよ。少し記憶が混乱してるだけで、なあに、すぐになれてくるさ。
  さっそくだが君には今からZ社本社に行ってもらう。
  ここからどうやって、どこにいけばいいかは君には判るはずだよ」
 「はい先生。承知いたしました。」
 「よろしく頼むよ」
 U氏は集中管理室から出て行く助手を見送ると、デスクチェアの背もたれに身体を預けた。煙のでないパイプのスイッチを入れながら、コンソール画面にあるホットラインのアイコンにタッチすると、それはZ社本社ビル最上階の社長室につながり、社長専属の優秀なセクレタリーがいつものとおり応対した。
 「ああ、私だ。社長はご不在なのか?」
 「申し訳ございません、社長はただいま来客中でございます。」
 「そうか、ならお伝えしくれ。今月製造分のミクロロボットをそちらに送った。
 歩留まりがあがらないから、出来高60% 5Mpcs.だ。
 なに? 計画未達だと? 限られたリソースではこれが限度だよ。
 そんなにせかされても、歩留まりをあげるにはまだまだ金がかかる。
 少しでも早くお願いしている予算執行ができるようにしてくれ。
 うーん、そこまで言うなら輸送ロスを最小化することだな。
 血液を100%摘出すればいいが、それでは輸送した人体がもたない。
 まあ優秀な助手だったが処分は本社判断にまかせるよ。
 ああ、また次の優秀な助手を派遣してくれたまえ。年齢性別は問わない。  記憶操作はこちらで対応する。よろしくたのむ。」
 U氏は回線を切るとパイプの煙のない煙を一喫大きく吐き出した。
 それは、U氏の大きなため息のようでもあった。
 一方、Z社の社長室では、U氏とのやり取りをスピーカーで聞いていたのは Z社の社長である。
 「U氏はいつも言い訳と金のことしか言わないなぁ。
  歩留まりをどうあげていくのか、何が課題でどう対応するのか、
  具体的なプランを出すという報告をうけから、もう一年だ。
  U氏もそろそろ老害だな。」
 「しかし社長、U氏の集中管理システムはバックアップシステムと称して、こちらにも複製させましたが、肝心の製造プロセスは、まだU氏と研究所にしかございませんが。」
 「何のために莫大な金をかけて集中管理システムの二重化をしたと思う。   ディザスタリカバリ/災害やテロ対策もあるが、こちらのバックアップシステムを稼働させれば、ミクロロボットの制御がこちらからでもできる。
  今月製造分からいくらかを研究所に送り込めば、彼も素直で従順な研究 員になるさ。暗黙知の製造プロセスも形式知にするのは時間の問題だよ。   あ、今の助手は殺さぬように。こちらの責任者を任せよう。」
 Z社の社長は、高層ビルの最上階から超強度防弾ガラスの窓下に広がる都会の喧騒を見下ろしながら満足げに微笑んだ。
 研究所では、社長室に送り込んであるミクロロボットが拾った社長の会話 を、U氏は集中管理室のデスクチェアのヘッドホンで聞いていた。
 U氏はまたひとつ、大きく溜め息のように、煙のない煙を吐いた。

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