ベーシックインカムちゃんねる、ありがとう!!

突然ですが、以下について考えたことはございませんか?

・ベーシックインカム(全国民に無条件で同額の金を配る制度)
・日本を豊かにする方法
・競争が増えれば豊かになるのか?
・なぜ社会全体に不可欠な仕事が冷遇されるか?
・なぜ技術進歩が生活を楽にしないのか?
・なぜ少子化が進むのか?
・GDP上昇・経済成長は本当にいいことか?
・なぜ革命が起きないのか?

政府にベーシックインカムを強制する方法 

もし1つでも興味がおありでしたら、ぜひ紹介させていただきたい動画・文章がございます。

チャンネル名     ベーシックインカムちゃんねる
NOTE名       しっきー  様
NOTEからのリンク  ベーシックインカムを実現する方法
以下引用



  • ベーシックインカムは、すでに存在する余剰を配ろうとするのではなく、これから供給力を向上させていこうとする試みであり、「ベーシックインカムを配ることによるインフレ」と「供給力の向上によるインフレの解消」を繰り返すことで、より多くのベーシックインカムが配られる社会を目指す。

  • 市場競争によって、効率的なビジネスが非効率なビジネスを淘汰していき、それによって供給力が向上していくと考えられている。しかし、相手に貨幣を支払わせようとする市場競争において、相手の生活を楽にするインセンティブはなく、「生活を楽にする」ような供給力の向上は、市場原理にまかせても行われにくい。

  • 「働かなければ生活できない」ゆえに供給力が頭打ちなっているという構造的な問題は、特定の企業や個人が優れたビジネスを行えば解決するものではなく、政府がベーシックインカムを配ることで、経済活動の前提となるルールの変更を試みる必要がある。



  • ベーシックインカムは、「すでに存在する余剰を分配する」のではなく、「これから余剰を作り出そうとする試み」であるゆえに、「○○円のベーシックインカムならば可能」という根拠を事前に提示することはできない。

  • ベーシックインカムは、政府が「まず貨幣を配る」ことによって起こるインフレに対して、「供給力の向上」によるデフレがそれを打ち消すことで実現する。順序としては、先に貨幣を配り、そのあとで供給力の向上を目指すことになる。

  • ベーシックインカムは、貨幣を配ろうとするが、余剰を配ろうとするわけではない。そのため、「余剰があるからベーシックインカムを配ることができる」という形で説得力を得るのは難しい。



  • 市場競争は、それが不公平だからではなく、それが公平(フェアネス)を重視するからこそ、生活が苦しくなっていく。スポーツにおいて、自分が勝つために相手を妨害し合うように、ビジネスにおいても、自分が儲かるために互いの負担を増やし合うような構造がある。

  • 現代における競争の過剰を問題視するならば、競争の重要性を認めつつも、競争を否定する方向に社会を傾けていこうとする必要がある。ベーシックインカムは、「全員に無条件で同額であること(差を否定すること)」によって、競争過剰な社会を補正していこうとする。


  • 「経済成長することで少子化が起こる」理由は、市場競走が影響力を持つほど、「子供を産み育てることにリソースを使う」よりも、「自分が競走に勝つためにリソースを使う」人が増えるようになるからだ。

  • 「なぜ子供を作ろうとしないのか?」と個人に聞くと、「十分な所得を得られないから」という答えが返ってきやすい。ただ、個人が「十分な所得を得られないこと(相対的な勝者になれないこと)」は、マクロでは解決不可能な問題であり、マクロで考えるならば、「競走に参加しなければ不利になる構造」こそが問題と言える。

  • かつての伝統的な価値観(市場のメインプレイヤーは男性で、女性は家庭で子育て)は、「入口」において競走を否定してきた。それに対して、「累進課税+べーシックインカム」は、「出口」において競走を否定しようとするものになる。

  • べーシックインカムは、社会保障の代わりになるものではないが、分配のもとになる余剰を増やそうとする(集団全体を強くしようとする)ための政策として、これからの社会に必要なものになる。


  • 市場において、金を稼げない人は金を支払えないので、金を稼げない人の需要をいくら満たしても、ビジネスとしては成功しにくい。乳幼児や老人は金を稼げないので、育児や介護の仕事は、多くの需要があっても給料が高くなりにくい。

  • 「金を稼げる人の需要を評価する(金を稼げない人の需要を評価しない)」のが市場のルールだが、それゆえに市場は、それ自体で完結しているシステムではなく、外部に「プレイヤーの生産(子供を産み育てること)」を頼っている。

  • 市場は、外部からプレイヤーを呼び込まないと成立しないが、一方で市場のルールは、そのような「市場の外部(出生)」をマイナスに評価する。

  • 「出生」に留まらず、市場は、インフラ整備や治安維持など、「社会に必要な仕事(エッセンシャルワーク)」を高く評価できない。「社会に必要な仕事を評価するが、個人の権利を否定する(アクセル)」か、「個人の権利を尊重するが、社会に必要な仕事を評価できない(ブレーキ)」か、のトレードオフがあることになる。


  • 社会保障やポジティブアクションなどの「弱者への支援」をめぐって、実質的に、「弱さを競う競争」が起こっている。

  • 「競争」には、「分配するもとの余剰を生産せずに、分配の優先権を争う」という性質があり、「競争」が激化するほど、分配の正当性は高まるが、生活が苦しくなっていく。

  • ここでは、「競争」を「正しいが、豊かにならない」、「協力」を「豊かになるが、正しくない」ものと考える。しかし、個人の主観では、「競争することで豊かになる」という勘違いをしてしまいやすい。

  • 「プラスの競争」において、自分が競争に勝つために努力をすると、それによって全体全体が良くなっていくと思いやすい。しかし実際は、社会に必要な仕事のために使えたリソースが空費され、マクロでは貧しくなっていく。

  • 同様に、「マイナスの競争」において、メディアやSNSなどで弱者性に対する理解が進むと、それによって社会全体が良くなっていくと思いやすい。しかし実際は、認知・理解・配慮のような有限のリソースを奪い合う競争になり、マクロでは、競争によって全員が苦しくなっていく。

  • 「協力(豊かさ)」は、「正しさ」に反するが、「正しさ」が成立する前提を生み出し、「競争(正しさ)」は、「正しい」が、「豊かさ」が作り出した余剰を切り崩すことで成立している。

  • 「競争」の否定は、「そもそも差を作らせない」という形になる。個人の弱者性や個性(差を生じさせること)を重視する「マイナスの競争」は、一見して「プラスの競争」を否定しているように見えて、実際には「競争」を強めようとする。

  • 「競争」が重視されると、「プラスの競争」と「マイナスの競争」という両極端が分配の優先権を得るようになる。そうなると、「中間」にいるほど不利になり、どちらかの競争の勝者を目指す者が増えていく。このようにして、「プラス・マイナスの競争」は、結託して「中間(協力し合う集団)」を解体していこうとする。


  • 若者や氷河期世代が革命や労働運動を起こせなくなった理由は、自由化が進んだから。

  • 自由化が進むと、「革命や運動を主導して成果を出せる人間は、そんなことをしなくとも自由競争の勝者になることで良い待遇を得られる」という形で、集団で団結して運動を起こすことが構造的に難しくなる。

  • 過去に革命や労働運動が試みられたのは、それほど自由な社会ではなかったから。

  • 自由な社会になると、「集団のため」よりも「自分のため」にリソースが使われるようになり、社会全体を変えていこうとする試みが成り立たなくなる。

  • 「個人の自由の尊重」は、非常に重要なことだが、そうであるがゆえに疑うのが難しい。ここでは、「自分のため」が許されること(自由が尊重されること)を「正しさ」と置き、それに対して、「集団のため」を重視する作用を「豊かさ」とおいて、「正しさ」と「豊かさ」が相反すると考える。

  • 「正しさ」と「豊かさ」は相反するが、個人の主観では両者が同一視されやすく、「自由競争によって社会が豊かになる(正しいから豊かになる)」という考え方が影響力を持っている。

  • 政府は、「豊かさ(集団のため)」にリソースを使われやすくする政策を行うことができる。しかし今は、競争に評価されないものを評価する役割が期待される政府も、「自由競争によって社会が豊かになる」という考えのもと、競争を促進する政策を進めている。

  • 「集団のため」ではなく「自分のため」にリソースを使う人が増える状況は、「分配するもとの余剰が減っていく一方で、分配の優先権を争う競争が激しくなっていく」というようなもので、各々が必死に努力するからこそ、マクロでは全員の生活が苦しくなり続ける。

  • しかし、だからといって「集団のため」にリソースを使おうとすると、それをやろうとした当人が社会的に不利になってしまうので、社会構造に問題意識を持っていたとしても、自分の生活を守るためには「自分のため」にリソースを使わざるをえない。

  • 「自分のため」を重視せざるをえない構造を打ち破るための社会革命は、「ローカルの再構築」という形で行われる。

  • 集団の規模を小さくする(ローカルを作る)と、「集団のため」と「自分のため」が近くなり、「集団のため」にリソースが使われやすくなる。

  • 逆に、大きすぎる集団(グローバルな状態)だと、「集団のため」にリソースが使われない。「国家と個人だけ」のように「ローカル」が存在しない場合、「集団のため」にリソースが使われる動機がなくなり、社会も政治も機能しなくなる。

  • 伝統的な社会においてローカルは強制されてきたものだったが、近代化と情報化が進んだ現在、個人として合理的に考え、そのメリットとデメリットを比較検討した上でも、「ローカルの再構築」が成立する余地があると考える。

  • 「貨幣」は「ローカル」を超える「グローバル」な性質のものなので、「ローカルの再構築」は、貨幣を否定しながら、自分たちに必要な仕事(エッセンシャルワーク)を自分たちで行い、仕事の成果を自分たちで直接的に享受する、という形の活動になる。

再構築されたローカルな集団がエッセンシャルワークを担う労働力を抱え込んでいけば、そのような集団の意見を、政府も無視できなくなっていく。ゆえに、ローカルの再構築は、暴力的なことや過激なことを試みるわけではないにしても、若年層による社会革命のような性質の活動になる

引用終了
*これら以外にも、いろいろな作品がございます。
なお、noteからのリンク 「ベーシックインカムを実現する方法」
は、こちらです



初めて見たときは涙が出そうになりました。
ずっと前から疑問だったいろんなことに対し、ここまで詳しく丁寧に教えてくださるとは。
何より「政府にベーシックインカムを強制する方法」には、本気で日本をよくしようと思ってくださっている、そう感じられました。

もし興味を持っていただけたなら、是非ともご覧ください。
これらを大勢の人たちが見て、動き出す人々が増えれば、きっと日本がよくなるきっかけになるでしょうから。


しっきー様、素晴らしい作品を作ってくださり、本当にありがとうございます。
時間はかかりますが、これから全部読ませていただきます。
そして日本人のために何ができるか、自分なりに考えてみます。

閲覧ありがとうございました。





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