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中二病の新卒社員 【ADHDは荒野を目指す】
3-2.
卒業に必要な単位を必死にかき集め、さらに教授や助教授、助手や院生などに、そのレベルの低さを散々嘲笑されながら卒業論文を書き終えた僕は、どうにか大学卒業にこぎつけます。
日本一単位認定の基準が甘い――そう言われた時代の京都大学学生だったのは、本当に幸いなことでした。
所詮大学なんて、世間知らずの連中が空論ばかり語っているような場所だ。有能でタフな僕には、そもそも似合わない場所だったのだ。
実社会の中でこそ、僕の実力が発揮できるのだ。
僕はそんなことを思いながら、僕を採用してくれた会社のある関東へと、意気揚々と乗り込んで行きます。
――けれども。
そんな意気は、あっという間にしぼんでしまいます。
最初の研修から、僕は失敗を繰り返しました。
挨拶も出来ない。名刺もうまく扱えない。電話の声が聴きとれない。きちんとした身だしなみが出来ない。
社会人としてのマナーが一切身につきません。
ただ、小さな会社であったため、それらに関しては、さして問題視されませんでした。ベテラン社員でも、似たような人は何人もいましたから。
やはり問題は、実際の業務でも、失敗を頻発させてしまうことです。
データ入力ミスをする。間違った情報を上司に伝える。締め切りを守れない。会議中ぼんやりして話を理解出来なくなる。整理整頓が出来ず大事な書類をなくす、破棄してしまう……。
どうしようもない、ポンコツ社員です。
それでも幸いなことに、上司や先輩にひどく叱られる、ということはありませんでした。
小さな会社、活気ある会社では、そんなことをしている余裕などないのでしょう。
僕がミスをしても、先輩がさっさと修正するだけ、大して怒られはしませんでした。
ただ、白い目で見られはします。
「京大様」という陰口も叩かれたりはします。
そんな空気を察した僕は、さらに落ち込みます。
ADHDであるが故に、幼い頃から失敗を積み重ねて来た結果、心の奥底に染みついてしまっていた劣等感がはっきりよみがえって来て、やはり僕なんかは、何をしても駄目なんだと思ってしまいます。
でも、もしそれだけだったら、僕は頑張れたかもしれません。
こんなダメな自分でも拾って貰えたのだから、懸命に働いて、他人に媚を売ってでも、この仕事に食らいつこう、そう思えたかも知れません。
でも、僕はそうしませんでした。
始業時刻ギリギリに出社し、定時になればさっさと帰る。
しかも、同僚や先輩の、酒や遊びの誘いを全て断る。
そんな有様です。
どうしようもありません。
当時の僕には、成功体験から来る高いプライド、という厄介なものがあったのです。
僕は思ったのです。自分に合わない仕事をさせる上司が悪い。自分を認めない同僚が悪い。
こんな職場は、僕には相応しくない。
だから、必要以上に頑張らなくていい、馴染まなくてもいいーーそう思ってしまっていたのです。
ADHDの成長は、常人の半分の早さだと言います。
大学中退という遠回りをした僕は、新卒とはいえ既に二十六歳になっていましたがーー常人で言えば十三歳、中学二年生です。
いわゆる中二病真っ盛り。
どうしようもありません。
そうして僕は、一人、苦しみます。
仕事のストレスを抱えて帰宅し、ストレスを忘れるためにひたすら単純なゲームをする。けれどもそれもうまく出来ず、余計にストレスが溜まる。そして気づいた時には三時四時、殆ど眠れぬまま、寝不足のストレスまでをも抱えて出社する。
休日だって、仕事のことが気になって仕方なく、やむを得ずゲームに逃げれば、あっという間に夜になっている。
ここは地獄だ、と僕は思うのです。
今になって思えば、それは大してひどい状況には思えません。
何せ新卒社員なのです。仕事が出来ないのは当たり前だし、周囲と馴染めないのもある程度仕方がない。
実際、だからこそ、上司や先輩に叱られることも殆どなかったし、ある程度気にかけてくれたのでしょう。
もしそれが、もっと良くない職場であればーー僕は確実に虐められていたでしょう。役に立たない、協調性のない奴など、追い出してしまえ、と。
実際、その後の他の職場でそうなったように。
そんなことにならなかっただけ、その会社は良い場所だったのだと思います。
でも、当時の僕にはそれが分からない。
小さな会社で、同期が一人もいない――比較対象がおらず、新卒とはこういうものだというのが分からなかったというのも、不運だったのでしょう。
僕は、劣等感とプライドの狭間で、苦しみ続けます。
そしてある日、とうとう限界を迎えてしまいます。
その前夜、僕は気付いてしまいました。自分が酷いミスをしてしまったことに。
このままではまた大きな迷惑をかけることになる。明日始発で会社に行って、急いで修正しなければ。
眠れない夜を過ごし、そして朝を迎え、着替えようとしますがーーそこで僕は、洗濯済みのシャツが一枚もないことに気付きます。
ただ、長く洗濯をしないなど、良くある話です。そしていつもなら、洗っていない服の内で汚れがマシな物を選び、アイロンをかけ、それを着て行きます。
その日の僕も、急いで服を選び、アイロンをかけようとしましたがーーアイロンが熱くなりません。
故障です。暫く奮闘したが直らない、
やむを得ず僕は、そのままシャツを羽織り、急いで外に出ようとします。
けれども、玄関の鏡を見て足を止めます。
寝癖だらけの伸びた髪、無精髭に吹き出物、目脂のついた血走った両目、そして汚れたヨレヨレのシャツ。
ひどく不細工だな、と僕は思います。
元々見た目は大して気にしない僕です。しかし、過酷なチベット旅から帰ってきて以降、自分の顔が素晴らしく精悍なものになっていることには、密かに誇りを持っていました。
そんな思いすら、完全に吹き飛びました。
僕は、体調不良で休みます、とだけ記したメールを会社に送り、携帯電話の電源を切ると、シャツを脱いで横になりました。
そして夕方、受信フォルダをチェックしないままに、会社に宛ててもう一通のメールを送ります。
ーー一身上の都合により、退職させていただきます、とだけ記して。
そうして、僅か半年間のサラリーマン生活が終わりました。
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