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ADHD人生最初の犯罪 【ADHDは荒野を目指す】

 1-3.

 灘中学で見事に落ちこぼれた僕を見かねた両親が、その秋、ようやく動き始めます。

 僕の小学生時代は、両親があらゆる手助けをしてくれました。身の回りのことだけでなく、勉強に関しても、です。スケジュールを組み立てたり、宿題やプリントの管理をしたり、時には宿題を一緒に考えたり。受験前にやる気を失いつつあった僕を、最後まで頑張りぬけと一生懸命励ましてくれたりしました。

 でも、僕の中学入学と共に、彼らはそれらをスッパリ止めました。
 それは、灘中の「自立を促す」という指導方針に沿ったためではありますが、それに加えて、仕事が多忙になって手が回らなくなった、というどうしようもない原因もありました。
 何せ僕の家は、裕福な家庭などではありません。父は平凡な会社員、母はパートに出ているだけ。それなのに、二人の息子が、学費の高い私立中学に進学したのです。
 当然、父は残業を増やし、母はパートに出る日数を増やします。毎日毎日、彼らはクタクタになって帰宅します――遠くの私立中学に通う僕よりも、ずっと遅い時間に。
 これでは、以前のような手助けをすることは、出来る筈もありません。

 そして、その代わりに彼らが始めたのは――ひたすらの叱責です。
 それまでの傍観をかなぐり捨て、彼らは毎日のように、僕を叱りつけるようになりました。何故ちゃんと勉強をしないのか。何故そんなにだらしないのか。お前の兄は全部ちゃんとやっているのに。
 そう怒られる度に、僕は強く思いました――本当にその通りだ、と。
 僕は勉強をしなければならない。僕は身の回りのことをきちんとしなければならない。兄のように。そう心の底から思い、ちゃんとやり直すことを両親に誓います。
 けれども勿論、僕にそんなことが出来る筈がありません。翌日には元の木阿弥です――僕は勉強をせず、だらしない日々を送る。そして叱られる。
 そんな毎日を送るようになっていました。

 それでも、中学一、二年生当時の僕にとっては、それは大して苦しい日々ではありませんでした。
 劣等生であることにも慣れます。叱られることにも慣れます。そもそも自由な灘中では、授業を聞いていなくとも、宿題をしなくとも、成績が悪くても、教師に注意されるということは殆どありません。家で叱られるのも、両親ともに忙しいお陰で、精々日に三十分程度。それらを耐え抜けさえすれば、僕は自由になるのです。本屋で漫画を立ち読みすることも、友人の家でゲームをすることも、親の居ない隙に家でテレビアニメを見ることも、安い駄菓子をむさぼり食べることも出来る。何もなかった小学生時代に比べれば、遥かに多彩な娯楽を味わえるのです。
 僕はそれらの日々を、それなりに楽しく過ごしました。

 けれども、やがて事情は変わり始めます。
 十代半ばになった僕が、アニメや立ち読み程度では満足できなくなり、より強烈な刺激を求めるようになってしまったのです。

 とは言っても、精神的に幼いADHDですから、夜遊びだとかシンナー吸引だとかナンパだとかの、いわゆる不良行為などをする度胸はありません。

 僕がしたのはただ一つ、ゲームセンターに入り浸ることだけです。
 大音量、色彩豊かな画面、派手なアクション。それらの刺激に僕は強く魅せられました。理解不能な授業と一方的な叱責に囲まれるだけの、ADHDにとっては堪らなく退屈な毎日の中で、それは僕を簡単に異世界に連れて行ってくれるものでした。
 そして僕は、毎日の放課後、そこに入り浸るようになります。

 けれども、そこで僕がゲームをしていた訳ではありません。
 小遣いは月2000円だけなのです。しかも衝動的な買い食いや、漫画雑誌の購入は辞められない。ゲームにかけられるお金など殆ど残っていません。毎日ゲームセンターに通おうとも、殆どの時間、他の子供のプレイを背後で見ていることしか出来ないのです。
 勿論時折は、勇気を振り絞って、なけなしのお金を投入してゲームを始めることはあります。けれども、そもそもが不器用な僕です。あっという間にゲームオーバー。そうなると自制のきかない僕は、ついつい次のコインを投入してしまいます――勿論すぐにゲームオーバー。またコイン投入、またゲームオーバー。
 そうして、一か月のお小遣いなど、あっという間に消え去ってしまいます。

 だから、僕は常にお金がありませんでした。ゲームも出来ない。漫画雑誌も買えない、買い食いさえ出来ない。退屈に耐える能力に乏しいADHDにとって、こんな厳しい状況はありません。
 まるで麻薬の禁断症状のように、僕はいつでも、ゲームのことばかり考えるようになってしまいます。

 そして勿論、そんな僕の状況に、共感してくれる人は一人もいませんでした。理解してくれる人すらいません。当たり前です。
 親からすれば、勉強をしないことだけでも、僕は駄目な子供なのです。ましてやゲームや漫画、買い食いなど、存在そのものを否定している。僕の欲求を理解する筈もない。
 同級生達は、勿論ゲームをしたいという気持ちは理解してくれます。けれども、彼らはゲームセンターには行きません。家庭にゲーム機があり、それで心行くまで遊べるのです――勿論、勉強時間を疎かにしない程度に、節度を保って。そんな彼らが、僕に共感できる筈もありません。

 娯楽がない上に、孤独でもある。救いのない日々です。どうにかして抜け出さなければならない、僕はそう強く思います。
 そしてとうとう僕は、動き始めます――盗みを始めるのです。


 最初に手を出したのは、駅の書店での、漫画本の万引きです。どうしても欲しい本があった僕は、我慢が出来ず、それをこっそり自分の鞄の中に突っ込みました。
 けれども、僕が酷く不器用であったせいでしょう、その初回の犯罪を、見事に店員に発見されてしまうのです。
 腕を掴まれ、奥の事務所に連行された僕は、そこで名前と家の電話番号を言うよう要求されます。もう僕の人生は終わりだ、そんな恐怖に震えながら、泣きそうになりながらも、僕は懸命にそれを拒絶し――そして、買おうと思っていたがうっかり鞄に入れただけだ、という強弁を必死に続けました。

 二十分ほどして、とうとう、その店員側が折れました。今思えば、捕まった時点で僕は未だ書店を出ていなかった――だから、正確には万引き扱いには出来なかったから、というのもあるのでしょう。結局その店員は、漫画本を取り上げただけで、名前を聞くこともなく、僕を解放しました。
 どうにか破滅をせずに済んだ。その脱力感の中、僕は強く思ったのです――もう、他人から盗むのは辞めよう、と。
 盗むのは、親からにしよう、と。

 そして僕は、母の財布からの窃盗を始めます。
 その財布は常に母親の鞄の中にあり、その鞄は常に母の近くにありました。中々隙がありません。けれども唯一の例外、朝食を作っている間です。その間は、財布がリビングに無造作に置かれています。父も兄も支度で忙しい朝、誰の目も注がれない時間があります。そういう隙に、僕はその財布を開き、千円札を一枚抜き取る。
 何故なのかわかりませんが、両親は余り銀行を信用していませんでしたから、給与の殆どをそのまま財布に入れていました。しかも家事仕事で忙しい母、流石に細かい所持金まで管理はしきれていなかったようで、僕のその盗みは、成功を続けました――暫くは。

 そして僕は、生活に潤いを取り戻します。ゲームセンターに通い、ゲームに熱中します。湯水のようにお金を使い、それを楽しみます。すると今まで出来なかったようなプレイが出来るようになる。するとますますそれにのめり込む、またお金を使う、そしてお金がなくなる――もう我慢は出来ません、また親の財布から紙幣を抜き取り、ゲームセンターに走る。


 平気で人の物を盗む、愚かしい子供でした。
 勿論それは、仕方のないことだったでしょう。僕は幼く、日々は辛い。僕は自分自身のことで精いっぱいだったのです。お金の意味、それを稼ぐことの苦労、そういったものに思いが及ぶはずもない。
 僕は欲望に振り回される、獣のような少年でした。


 そして勿論、そんな日々には呆気なく終わりが来ます。
 その日僕は大成功をします――一万円札の抜き取りに成功したのです。その日僕は、大豪遊をし、そしてある程度の満足感を覚えつつ、帰宅します。
 待ち構えていたのは、両親の怒声でした。

 僕は父親に殴られ、母親に泣かれ、そして宣告をされます。

 ――お前を少年院に入れる、と。

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