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ADHDは中学受験勉強をするべきか? その② 【ADHDは高学歴を目指せ】

21.

 授業も聴けない、集中も出来ない、整理整頓も出来ず、計画も立てられない・守れない。

 そんなADHDの僕ではありましたが、様々な幸運にも恵まれ、京都大学に合格できました。

 しかし、社会に出てからは、そのADHDの特性ゆえに、失敗の連続。
 やりたかったわけでもない仕事を延々と行い、一時はそこそこ成功しながらも、結局全てを失う、ということを繰り返してしまう。

 とはいえ。
 僕は、何度もそこから再起することが出来ました。

 それには、『非常事態に強い』というADHDの特性が役に立ったのは確実ですが。

 それ以上に。
 『学歴があること』お陰で、チャンスを貰えたこと。
 『灘中学に合格した』過去があるお陰で、失敗の連続の中でも一定の自信は保てたこと。

 そして何より。
 中学受験勉強のお陰で、『創意工夫する能力』=『創造力』が大いに伸びたこと。

 そのお陰で、ADHDであっても何とか今日まで生き延びることが出来た。

 そもそも誘惑に弱いADHDにとって、親の手によりその誘惑をかなり制限出来る『幼少時代』こそ、能力を伸ばすための、人生唯一『ボーナスタイム』。
 この時期にこそ、勉強する習慣を叩き込むべきだ。

 つまり、ADHDの子供にこそ、中学受験勉強をさせるべきだ。


 そう、確信しているのですが。

 ただここにも、大きな問題がある。


 まず何より。
 中学受験には、金がかかる。

 塾代も馬鹿にならないし。
 その後私立中高一貫に合格してしまえば、さらに大きなお金が飛んでしまう。

 ただそれでも勿論、それに見合った効果が得られるのなら良いのであり。

 実際、僕に関しては、それに見合った――とは言わなくとも、少なくとも中学受験勉強の陰で、本来よりは多少はマシな人生になったと思います。

 けれども。

 残念ながら。

 今現在、中学受験勉強をしている殆どのADHDの子供にとって、中学受験勉強は、無駄なものになる。

 僕はそう、確信しています。

 その理由は簡単です。

 中学受験勉強の良い所は、それが『詰め込み勉強』が殆ど通用しない一方、『創意工夫』が非常に重要である、という点であり。

 記憶力が乏しく、人の思いつかないようなことの出来るADHDにとって、非常に適した勉強である、というのは確かなのですが。

 残念ながら。

 何十年も、国外からであるとはいえ、受験業界を見て来た人間として断言できますが。

 現在の中学受験業界において、その指導者たちのほぼ全員が、『創意工夫』を生徒に要求するような指導を、行っていません。

 彼らはほぼ例外なく、カリキュラムに沿った『講義授業』をしているだけです。

 それは、指導者にとって一番負担が少ない指導法ですが。

 生徒自身があれこれ試行錯誤をして、答えに至る――そんな機会は、少なくとも塾の中では与えられません。
 そして膨大な宿題の量の為に、家庭に戻った後ですら、試行錯誤する余裕はありません。
 また、講師が一つ一つに適切なアドバイスをする機会だってない。


 結局、多くの生徒は、テキストに書かれた公式をそのまま頭に詰め込むだけ。
 『創造力』など、一切伸びないままです。

 こんな有様なのですが。

 ごく稀にいる、『どう指導されても伸びる』生徒達は、こんな指導でも勿論問題なく伸び続け、一流校に合格する。

 また、保護者の多くは、自身が中学受験勉強をした経験がないため、その指導法の是非を評価することが出来ない。

 そのせいで、この指導法に苦情が出ることは少ない。

 逆に、『創造力』を伸ばすべく、生徒一人一人に試行錯誤をする時間を与えたりすれば。
 『カリキュラムを消化していない』『テキストの半分以上の問題を教えてくれていない』『難問を教える能力のない無能講師だ』
 ――そんな苦情を、受けることになります。

 ちなみに全て、僕自身が実際に浴びた言葉です。


 かくして。
 多くの塾において、大多数の子供にとって、何の意味のない授業が繰り広げられます。


 それでも。
 普通の生徒にとっては、完全に無駄、という訳ではありません。
 知識や勉強をする習慣が身につく等、ただゲームをしている時間に比べれば、それなりには意味のある時間を過ごしたことにはなる。


 でも、ADHDの子供達にとっては、そんな救いすらない。

 楽しいものに対する時以外、気持ちが一切乗らないのがADHDです。

 理解しづらい講義を聴くことなんて出来ないし。
 理解出来ない勉強は全く楽しくないし。
 楽しくない勉強では勿論成績は上がらないし。
 それで親や教師に怒られるし。

 その結果、勉強が嫌いになる上に。
 肝心の、創意工夫をする力=『創造力』も一切伸びない。

 辛うじて得られる筈の、無機質な知識だって、簡単に忘れてしまうのがADHD。

 塾に対して多大な授業料を支払いながら、何一つ得られないだけでなく、害悪すらもたらすものになってしまっています。

 辛うじて、どこかの私立中高一貫校に合格出来たところで。

 そこの勉強が楽しい筈もなく。
 そこで落ちこぼれてしまうだけ。

 中高に支払う学費だって、ドブに捨てるような物。


 こんな有様なのです。

 幸いなことに、僕自身は、小学校時代。

 まず、大手塾に入り、それなりに無機質な授業を受けることとなりましたが。
 僕の家が片田舎にあったお陰で、『バスと電車を乗り継ぐ』という、ADHDの小学生にとって、明らかに不得手なことをせざるを得ず。

 必然的に、その途上で何度もお金や切符をなくし、迷子になり。
 両親はあっという間に、その塾に通塾させることを諦めました。 

 その代わりに通わされたのが、地元にあった小さな小さな塾。
 一軒家の一室で行われる、塾長一人の個人塾。

 しかし、この塾長が大した人で。

 普通の塾がするような、『一方的な講義授業』なんて一切しない。

 やることと言えば。
 ・来週までどこを勉強するか指示すること。
 ・その範囲の復習テストを行うこと。
 ・生徒一人ずつの質問にしっかり答えること。

 それだけ。
 塾に行くのも、週に二回程度。

 これが、ADHDの僕にとってぴったりの指導法でした。

 退屈な授業に耐える必要などない。
 自宅でひたすら試行錯誤をし、その結果を塾に持って行く。
 そこで、出来なかった部分を、塾長から個人的にしっかり丁寧に教えてもらう。 

 理解度は非常に高くなりますし。

 しかも。

 算数の問題に関して、与えられた公式など用いず答えを出したりした時は。

 普通の塾では、『教えていない方法では解かないで』などと言われるような状況で。

 この塾長は、『よく頑張った!』『深い理解の為には、こういう姿勢が一番大事だ!』と、手放しで褒めてくれたものです。

 かくして、小学時代の僕は、勉強が好きになり。
 後々の人生に役に立つ唯一の能力・『創造力』を、ぐんぐん伸ばすことが出来たのです。


 ちなみに。
 僕自身も、台北で日本人子女向け学習塾を開いた際。
 当初は、この塾と同じような指導をしていたのですが。

 生徒が増えて来ると。
 一人一人の生徒にそれぞれ別々のことを教える分、かなり仕事量が増える。
 しかも、カリキュラムを消化できていないことへの苦情も増える。

 それでも、同じスタイルの授業を続け、塾を支え続けたのですが。
 そのオーバーワークが祟り。

 人事管理、金銭管理を疎かにした結果、会社や資産全てを奪われる、という悲惨な末路を迎えたものです。


 それはともかく。

 このような、一人一人に合わせた指導を受けられるのであれば。

 ADHDにとって、中学受験をするということは非常に意義がある選択です。

 でも、現実問題、そんな塾は殆ど存在しません。
 苦情云々以前に、講師の負担が大きすぎて、利益が小さくなる。

 そして利益が小さい塾では、有能な講師はいない――一人一人の『創造力』を引き出すような指導を出来るような講師は、一人もいない。


 だから。
 結局のところ、普通の塾に行かざるを得ない子供が殆ど。

 そして、そんな所で、普通の指導を受けるのであれば。

 ADHDの子供は、中学受験をしてはならない。

 子供時代は、ADHDにとってのボーナスタイムなのです。
 もっと効果的なことに――それが何であるかは人によって違うでしょうが――、時間を費やすべきです。

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