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二十六歳、二度目の家出 【ADHDは荒野を目指す】

 3-3.

 僅か半年で退職をした僕は、関東の部屋を引き払い、実家へと戻ります。

 けれども勿論、そこが居心地の良いはずもありません。
 そもそも折り合いが良くない親子です。
 それに加えて、折角大学を出て就職もしたのに、僅か半年で逃げ出した息子となると、親からすれば到底許せるような存在ではないでしょう。
 早く次の仕事を探せ、という当然の要求を突きつけられます。

 それに対して、僕は抗弁します。
 来年国家公務員一種試験と政策担当秘書試験を受ける。合格ためには勉強に専念しなければならない、と。
 灘中や京大に合格したことだけを知り、大学で全く勉強に着いて行けなかった僕を知らない親は、それを聞いて黙ります。

 そうして僕は、当面の自分の居場所を確保出来ました。


 けれども、それはその場凌ぎでしかありません。
 僕はもう気づいていましたーー自分が勉強出来ないことに。
 とにかく集中出来ないのです。

 灘中や京都大学に合格した当時は、それが出来ていました。
 けれども、当時よりも遥か知識が増えたーーより刺激的な、面白いことを知ってしまった僕は、今更、興味のない分野の勉強など、出来る筈がないのです。
 仮に僕に素晴らしい才能があったとしても、努力をしなくなってしまっている以上、国家公務員一種や政策担当秘書試験などといったハイレベルな試験に、合格出来る筈もないのです。

 ただそれでも、僕に目標がなかった訳ではありません。
 ひとつだけ夢がありました――小説家になりたい、という。
 読書が大好きで、それなりに面白い経験をしている。国語も得意だったし、文章力があると褒められたこともある。こんな自分は、小説家になれるに違いない。
 そう思った僕は、勉強をしているフリをしながら、ひたすら文章を書き始めます。


 けれども、うまく行きませんでした。
 一編すら、まともに書き上げることも出来ないのです。

 今となれば、当然のことだと思います。

 何せ、ADHDです。
 文章がまとまらないのです。書いている途中に思考があちこち飛び、収拾がつかなくなる。仕方なく書き直そうとすると、またすぐに別のアイデアが浮かんでしまう。それらをまとめる能力などない。
 しかも、人と違った感性をしている上に、プライドの高すぎる人間です当然のことながら、他人の共感を得られるようなことは書けません。独善的な、自分の能力を見せつけたいだけの内容になっていることが、自分でもよく分かる。

 まともな小説が書ける筈もなかったのです。

 そんなことすら分からない僕は、やがて筆を置き、嘆きます。僕は何をやってもうまく行かない、と。

 そんな折、親と喧嘩をしてしまいます。
 お前には何の才能もないのだから、夢みたいなことばかり言ってずにちゃんと生きろーー学生の頃から言われ続けていた、至極もっともなその言葉に対して、二十六歳にして未だ中二病の僕は、学生の頃同様の強烈な怒りを覚えてしまったのです。
 弱い所を突かれてしまったのですから。

 僕は親を罵り、そしてその家を飛び出しました。
 二度とここには戻らない、と捨て台詞を吐いて。

 かくしてまた居場所を失った僕は、新大阪駅に向かいます。
 十年以上前、家出をしながら新幹線の乗り方すら分からず、手配師に声を掛けられるまでぼんやりしていたことを思い出します。
 そして当時から大して成長していない自分を恥じながら――それでも新幹線のチケットの購入方法ぐらいは分かるようになっていた僕は、新幹線に乗り込みます。

 そして僕は、東北地方へと足を踏み入れました。

 当てがありました。
 知人である、二つ年上の女性がいたのです。

 彼女とは、インドで出会いました。
 職場の夏休みを利用しての旅行中だった彼女と、学生バックパッカーだった僕は、外国人宿で出会い、日本人同士のよしみで多少仲良くなり、連絡先を交換しました。
 そこまでなら良くある話で、旅の後数度メールをやりとりだけして、そのまま連絡が途絶えるのが通例です。
 何せ日常では接点の一切ない相手であり、今のようにSNSで気軽にやりとりをすることも出来ない時代です。
 そういう軽い知り合いは何人もいました。

 けれども彼女とはそうはなりませんでした。翌春と翌夏、彼女は京都観光に訪れ、僕はそのガイドをし、食事を奢ってもらいました。

 その時はそれだけでした。しかし、僕が仕事を辞めた直後、その旨をメールした際、彼女はわざわざ電話を掛けてきて、それなら自分の街でゆっくりすればいい、と言ってくれたのです。
 そして、部屋が空いているから、どれだけでも泊まってもいいよ、と。


 僕はその言葉に甘えることにしました。
 初めて足を踏み入れる東北地方の駅で、仕事終わりの彼女と待ち合わせて、彼女の部屋に向かいます。

 そして、彼女の部屋の扉を開けて、愕然としました。
 僕は、2LDK以上の部屋を想定していたのです。当然客間があるのだろう、と。
 ところがそれは、ひどく狭いワンルームマンションだったのです。


 途端、僕は怯えます。
 自分ひとりが危険な思いをする――そういったことに関しては、無謀な蛮勇を振るえる僕ですが、他人が絡むことに関しては、ひどく気の小さくなるのも僕です。
 ADHDであるが為に、人間関係は摩擦を生みやすく、そしてその摩擦は自分を酷く疲弊させることになるのです。だから無意識の内に僕は、他者と深く付き合うことから逃げ続けてきました。

 けれども――ここまで来たら、もはや逃げることなど出来ません。僕は腹を括り、勇気を振り絞って、その部屋に足を踏み入れました。


 そうして、東北の片隅での『ヒモ生活』が始まりました。

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