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犬の散歩も出来ない、ヒモの居候 【ADHDは荒野を目指す】

 3-5.

 東北地方を離れた僕は、北海道に向かいます。

 当てがありました。今度も、学生時代の旅行中に知り合った相手です。
 ただし、女性ではありません。僕より五つほど年上の男性で、山中といいます。

 僕が、明日訪問をしても良いかというメールを入れると、山中は快くそれをOKしてくれます。そして当日、彼の家から最寄りの――車で三十分以上かかりますが――駅まで、車で迎えに来てくれました。

 山中は非常に奇妙な人物でした。
 専門学校を卒業後、六年仕事をしてお金をため、三年ほどアジアばかり旅をした人物です。

 僕が彼と出会ったのはネパールですが、その時彼は、道着を着て、風呂敷包みを背負っていたのです。しかも肌は日焼けして真っ黒。
 バックパッカーなどでは絶対になく、まるで道場破りに向かう剣士のようでした。

 そんなイカつい格好なのに、口から出るのは、朴訥な九州弁。いつでも大口を開けて、真っ白な歯を見せて笑っている。

 しかも、最初の会話が、彼がいつも身につけている、フンドシについてのものでした。
 出会って五分の僕に向かい、彼は熱弁するのですーーフンドシはとても便利なものだ、と。
 フンドシをしていると普段から気合いが入る。シャワーの際にタオル代わりになる。寝ている間干しておけば必ず乾くし、ノーパンで寝るので熟睡出来る。そして朝締めれば、また気合が入る。

 しかも、と山中は大真面目に言いました。
 川で溺れている人に出くわしたら、すぐにフンドシを外して投げて助けることも出来るーーつまりロープの代わりにもなる、と。


 もし自分が溺れている時に、寸前まで股間に付けられていたフンドシを投げられた場合、それを掴むのに少し躊躇するだろうなーーそんなことを思いながらも、僕は、この人は凄いと強く感じます。

 その他にも、彼はとても興味深い内容を語ってくれます。

 自分の体力がどれほどであるかを知りたくて、インドの三千メートル級の山を、道着だけ、水も持たずに登ってみたこと。
 ミャンマーの片田舎で、廃材を貰って家を建てて暮らしていたこと。可哀想に思われたのか、ミャンマー人から施しを貰っていたこと。

 そんな内容を、恥じらいも衒いもなく、笑顔で楽しそうに語ります。

 退屈が嫌いなADHDです。
 異質なものが大好きなADHDです。

 この、平凡とは対極の存在にある山中という人物に対しては、プライドの極端に高い僕も、非常な敬意を抱いていました。

 いつかこんな人になりたい、とすら思っていました。

 灘や京大といった、最高峰の人々がいる世界においては、一度たりとも感じたことのない感情です。


 その山中は、喜んで僕を迎え、北海道の片田舎にある家に連れて行ってくれました。

 そしてそこで僕は、犬の散歩をする以外には、何もしなくて良い生活を送ります。
 しかも、北海道の家は広い。僕にも六畳の部屋が与えられ、自由に使うことが出来ました。


 そんな素晴らしい環境だったのですがーーやはり長居は出来ないことは、最初から分かっていました。

 そもそも九州出身の山中が北海道に住んでいるのは、行き場をなくして、北海道在住の女性のところに転がり込んだからなのです。

 そう、東北地方にいた僕と同じ。

 勿論山中は僕と違い、力仕事も家事もうまく出来る人でしたが、いずれにしても、その家が彼の物ではなく、その女性のものなのだということは間違いない。

 彼女も僕を歓迎はしてくれましたが、幾ら空気の読めない僕でも、居心地の悪さは十分に感じていました

 そもそも、山中自身、少し肩身が狭いようでした。
 彼も、することは余り多くありません。

 元々大工経験があったので、家や蔵の補修などをするのですが、そもそもそこは過疎地、仕事自体が殆どありません。
 身体を使うのが得意なので、車で一時間ほどの場所にあるアウトドアスクールにて、ラフティングやカヌーのインストラクターをすることはありますが、元々社員の多いスクールであるため、山中に仕事があるのは、学生の修学旅行シーズンぐらいのもの。

 仕事も少なく、収入も乏しい。
 事実上、公務員である女性に食べさせてもらっている状態――そう、山中は、「ヒモ」の状態なのです。

 ましてやこの僕――大工仕事もインストラクターも出来ない、家事も出来ない、そして朝は寒すぎて犬の散歩すらさぼってしまう、いわば「ヒモの居候」の僕などが、そこで長居などできるはずがないのでした。



 一週間ほど過ごして、僕は退去することを決意します。

 駅までの道すがら、僕は山中に尋ねます――この先、山中さんはどうするのですか、と。

 先のことは分からないけど、と山中は笑って言います。
 自然が一杯のこの場所が気に入っているから、出来ることならここでずっと住みたい、と。
 でもこんな場所には仕事がないでしょう、と尋ねると、また山中は笑い、じゃあヒモ生活を続けるかなぁ、と言います。

 この人は駄目だな、と僕は思いました。
 今は良くても、いずれ彼女に捨てられるかもしれない。そうなれば終わり――今よりさらに貧しい未来しかない。

 人間としては、優しくて面白くて逞しい、本当に最高の人物だけども、社会人としては失格だ、と。

 それに比べて、僕はちゃんと学歴もあるし、悪い会社に入ってしまったから少し躓いたけれども、それは不運なだけ。僕は彼と違い、ヒモ生活もすぐに抜け出した。僕は、我慢の出来るちゃんとした人間なんだ、と。 

 だから、彼と違い、僕はこれから社会復帰を果たすんだ、と。
 そして堂々と生きるのだ、と。

 そんなことを思いつつ、僕は彼に別れを告げて、その土地を後にしました。



 ――余談ですが。

 この訪問の約二十年後、僕は再度山中を訪ねました。

 彼は、北海道のその場所に根を張って暮らしていました。

 例の彼女と結婚をし、仲良く過ごし、結果三人の子供を儲けていました。

 住家のみならず、倉庫や五右衛門風呂も、全て山中が手作りしたもの。
 食事となると、自分の畑へ行って野菜を収穫し、それを調理して出してくれる。
 近隣住民とも非常に仲が良く、頻繁に家屋の修繕に呼ばれる代わりに、野菜や鹿肉等の差し入れもしょっちゅう貰っている。

 恐らく現金収入は殆どないでしょうが、日々を楽しく過ごしつつ、きちんと三人の子供を育て上げているのですから、非常に豊かな暮らしをしていると言って良いでしょう。

 僕の予想など、まるで当たりもしませんでした。

 僕は、そんな山中に引き比べ、その二十年間ただフラフラしてきただけで、何も得ていない自分を恥じる――ことはありませんでした。

 山中の生き方は素晴らしいと思う――でも僕には、どう間違ってもそんな生き方は出来なかった。

 強すぎる劣等感と、高すぎるプライドを持つ、愚かなADHDなのです。

 僕はただ、荒野に向かうしかなかったのです。

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