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監獄のような場所 【ADHDは荒野を目指す】


 1-4.

 親のお金を盗んだ僕が、少年院に送られることは勿論ありませんでした。
 ただ、自由は奪われました。中学入学を機に与えられていた個室――勿論乱雑を極めていました――を取り上げられ、物置部屋で過ごすように命令をされたのです。

 物置部屋に収納されていた物全て僕の部屋に移された後、僕は布団と勉強道具だけを持って、その物置部屋に入りました。
 そこは窓もない小さな部屋。帰宅後は、食事とトイレの時以外にはその部屋から出ることを許されない。
 勿論学校には通えますし、寄り道も不可能ではありませんが、そもそも定期券以外のお金を持っていないのですから、どこにも行けません。真っすぐ帰宅する以外には何も出来ない。
 そして両親の帰宅後、持ち物は毎日チェックされる。ノートが取れていなかったら叱られる。落書きなどしていれば厳しく叱られる。小テストの点が悪ければ罵られる。その部屋では、勉強をする以外のことは一切許されない。

 何より退屈が苦手なADHDの子供にとって、そこは、監獄以外の何物でもありませんでした。


 そんな中で一度、休日に外に連れて行ってもらったことがあります。
 その時の行き先は、公園でした――浮浪者が昼間からそこらじゅうで横になっているような。
 そんな彼らを示しながら、父は言うのです――このままでは、お前もこうなるぞ、と。それが嫌なら、ちゃんと勉強をしろ、と。

 そして、僕の心は徐々に病み始めます。


 それまで、灘中学にもそれなりに仲の良い友人はいました。ある意味、人気者であったと言っても良いかもしれません。色んな意味で、同級生達より幼い僕ではありましたが、それは無邪気な子供であるということも意味しています。感情をむき出しにして、馬鹿な行動を繰り返す僕を、一部の同級生たちは面白がってくれたものです。

 けれども、こうして家での自由を奪われた後は、状況が変わります。そのストレスのせいでしょう――無邪気だった少年が、次第に攻撃的になってしまうのです。
 所詮幼いADHDですから、暴力を振るったりするようなことは一切ありません。ただ、他人を馬鹿にするような言葉ばかり吐くようになってしまいました。
 お前たちは勉強しか出来ない馬鹿だ。自分でものを考えられない、操り人形みたいな空っぽの存在だ。そんな、どこかで聞いたことのあるような言葉を並べ立て、ことあるたびに――いや、何もない時でも突然、優秀な同級生達に突っかかて行くのです。それでいて、その僕自身、何か特別な能力を持っているわけではない。ただただ、他人を傷つける為だけの言動を繰り返すのです。
 こんな子供が、周囲に疎まれない筈がありません。それまで親しくしてくれていた友人達も、やがて僕を見放し始めます。僕はそれにまた傷つき、また攻撃的な言動を加速させてしまう。
 そうして僕は、完全に一人になってしまいました。

 こうして、家でも学校でも完全に孤立してしまった僕は、やがて、死ぬことを思うようになります。
 何もない真っ暗な物置部屋の中で、膝を抱えて、考えるのです――ビルから飛び降りようか。包丁で首を切ろうか。電車に飛び込もうか。そんなことばかり、僕はずっと考え続ける。
 翌日、何も勉強をしていない僕を両親は罵り、宿題も何もやっていない僕を同級生たちは嗤う。そして僕は、また死を思う。
 けれども、勿論自殺を決行する勇気なんてない。僕はただ、いつか死ねば全てチャラになるという希望だけを胸に、どうしようもない日々をどうにかやり過ごしていたのです。

 精神的にも、僕は死という監獄に囚われていたのです。

 今思い返しても、その十代半ばの日々は、本当に辛い物でした。
 僕は後に様々な辛い体験をします。若くして肉親を失ったり、離婚されたり、全財産を失ったり、逮捕されたり、被告になったり。
 それでも、自分の人生の中で一番辛い時期はいつだったかと問われれば、僕は必ずこう答えるでしょう――十代半ばの日々だ、と。


 そして、そんな苦しい日々の中で――僕はついに、動きました。

 監獄からの脱獄を目指して、家出を決行したのです。

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