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汚部屋の中の絶望 【ADHDは荒野を目指す】

 1-9.
 地方都市の大学を中退した僕は、その後もその町に住み続けます。就職など念頭になく、アルバイトを続けるだけですが、それで問題なく暮らすことが出来ました。
 そもそも存在しないような仕送りがなくなったところで、痛くもかゆくもありません。むしろ、一切大学に行く必要がなくなり、かつ教材を買い揃えたりする必要もなくなった分、時間とお金にも余裕が生まれるようになります。

 けれども、やがて僕は孤独になります。
 何せ、一緒に遊ぶ友人達や彼女とは、その立場が大いに変わってしまったのです。

 多くは、僕と共に遊びながらも、きっちり成績を取り、普通に進級しています。そして三年になると、研究室に配属され、それぞれの専門分野のゼミが始まる。僕と異なり、興味あることがあってその学部に入学した彼ら、その研究に熱心に取り組み始めます。さらには、就職を目指して動き始める友人も現れ始めます。

 友人の中の数人は、留年していました。けれども勿論、中退などはしていません。翌年にはちゃんと進級できるよう、心を入れ替えて通学するようになってしまいます。
 そうして僕は、時間とお金を持て余すようになります。

 となれば、彼女と仲良く過ごせば良かったのでしょうが、それも出来ませんでした。
 理由は簡単です――飽きてしまったからです。

 そう、僕はADHDです。好きな物には没頭しやすい人間ですが、同時に、素晴らしく飽きっぽい人間もであるのです。
 それまでまるで触れあったことのない「女性」、しかも複雑な個性を持った彼女。その魅力に夢中になった僕ですが――付き合い始めて一年も経たないうちに、彼女に会いたいという気持ちが、一切なくなってしまったのです。
 嫌いになる理由があった訳ではありません。別に好きな女性が出来た訳でもありません。
 ただただ、飽きたのです。

 そして僕は、彼女に別れを告げました。彼女はプライドの高い女性です。簡単にそれを受け入れて、僕の前から去って行きました。
 そうして僕は、一人になりました。

 学生という身分もなくなり、友人も彼女も失った。
 そんな状況ではありましたが、僕はそれほど苦しんではいませんでした。
 死にたいと思い続けて暮らしていた十代半ばの頃に比べれば、遥かにマシなのです――限りない自由があるのですから。
 毎夕アルバイトに出かける。帰りにコンビニで弁当を買い、家で食べる。朝までゲームをして過ごす。昼過ぎまでダラダラ眠り、カップラーメンを食べた後、アルバイトに出かける。
 そんな日々が、僕はとにかく幸せに感じられたのです。


 けれども、やがてその幸せも、徐々に崩壊し始めます。
 友人も彼女も家に来なくなったこと、そして全ての食事を自室で取るようになったことで――僕の部屋は、凄まじく汚なくなり始めたのです。
 ADHDです。目の前のものを片付けることに一切の喜びを感じられない生き物です。ゲームの刺激には絶対に勝てない生き物です。
 弁当やカップラーメンを食べた後は、その容器を捨てることすらせず、そこらに放置したままゲームに取り掛かる。やがてそこから虫や悪臭が発生する。ハエやゴキブリが徘徊し始める、服にまで饐えた匂いが染みつくようになる、それでも僕は、部屋を片付けない――誰も訪れてこない部屋、他人の目を気にする必要がないのだから。
 足の踏み場もない部屋で、僕はゴミに埋もれて日々を送るようになります。

 さらに、公共料金の問題も発生します。電気代ガス代水道代、全て支払えない訳ではないのに、その請求書を放置したままにしてしまう。督促状が来ても無視してしまう。そして気付いた時には、ガスが停まり、電気が停まり、水道が停まってしまう。そうなってから慌てて支払いに行くのですが、かなりの延滞料金を取られてしまうのです。

 風呂の問題もありました。大学に通っていた頃は、同じく風呂のない部屋に住む友人と共に、毎日銭湯に出かけていました。しかしその友人と会わなくなると、それすら億劫になります。
 特に冬は、銭湯に行くのがせいぜい週一回。後は時折、キッチンで湯を沸かし、それで頭を洗うだけで済ませます。
 当然、不潔になり、悪臭を漂わせるようになる。それが、アルバイト先での不評につながる。

 そんな毎日を送る中、さらにまずい出来事が起こります。
 当時の僕は、幾つかのアルバイト先を掛け持ちしていたのですが、中でも週四日通っていた場所が、突然の閉業をしたのです。
 ADHDの僕は、どんな仕事をさせても、初めからうまくやることは出来ません。失敗に失敗を繰り返す中、人の半分のスピードで成長して行く、それがやっとです。そして大概、その途中でクビになる。
 ところが、そのアルバイト先のオーナーは、そんな僕を寛容な目で見てくれていたのです。大学一年の夏から二年間、辛抱強く僕を育ててくれたのです。
 けれどもその夏、田舎に住んでいたそのオーナーの母親が突然亡くなってしまいました。結果、オーナーは、父の面倒を見るために帰郷する道を選択するしかなかったのです。どうしようもありません。
 幸い、そのオーナーは、僕に別のアルバイト先を紹介はしてくれました。けれども勿論、そこは甘い場所ではありませんでした。僕はそこで無能を晒した結果、勤務日数を減らされ、給与を減らされてしまいます。

 その頃になってようやく、僕は自分の厳しい状況を自覚するようになります。
 収入もない。貯金もない。友人も彼女もいない。本来なら就職をしなければならないのだろうけれどもーーどうすれば良いかすら分からないし、そもそも社会が怖くてならない。
 どう考えても、明るい未来はまるで見えない。ただただ、この汚れ切った部屋の中で、大量のゴミに埋もれて行く自分の姿しか、思い描けないのです。

 それは本当に、辛い日々でした。


 けれども、そんなある日。

 突然掛かってきた一本の電話が、僕の人生を、大きく変えることになるのです。

 それは、母からのものでした。
 留年から退学の流れの中、怒りの中で喧嘩別れした筈の母は、しかしとても弱々しい口調で、こう言ったのです。


 ーーあなたの兄が、癌にかかった、と。


















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