人間は見捨てても、犬は見捨てられないADHD 【ADHDは荒野を目指す】
8-33.
ADHDであるために、日本社会に馴染めなかった僕は。
バックパッカーとして二十代を過ごした後、台湾人女性と結婚したのを機に台北に移住、日本人向け学習塾を開業。
その後十年近くの間、順調に黒字を上げ続けます。
しかし、台湾人妻と離婚することになり。
さらにその数年後、自己管理の出来なさの為に、元妻の家族によって三千万円を超える資産や、会社の権利等、全ての物を奪われてしまう。
それでも、どうにか会社を作り直し、軌道に乗せることに成功しますが。
やがて、台湾もコロナ禍に陥り。
政府の指示で、リモート以外の仕事がなくなり。
政府からの休業補償金もないままに、塾は経営不振に陥ってしまいます。
既に五十歳も近い、独り身。
どう考えても、会社を畳んで、日本に帰るべき時が来ていましたが。
日本には友人も殆どいないし、仕事の当てもない。
どう暮らせばよいか分からない。
帰国の決断も出来ないまま、ダラダラと日々を過ごしていました。
けれども、そんな時。
縁あって預かった犬の余命が、それ程長くないことを知る。
獣医に言われるままに、心臓の薬、腎臓の薬を購入。
それは非常に高価なもので。
義務化された毎月の定期健診代も合わせて。
コロナ禍の為に収入が大きく減った僕にとって、かなりの出費を余儀なくされます。
――それだけのケアをしていたのに。
ある日、その犬は倒れてしまいます。
数日前から元気がなかったのですが。
その日は朝から非常に呼吸が荒く。
明確な呼吸障害の症状が出てしまっていました。
食事はおろか、水すら摂ろうとしない。
慌てて、犬を連れて動物病院に駆け込むと。
即座に酸素室に入れられ、血流を良くするための点滴が行われます。
獣医からは、入院させてこのまま数日様子を見ることを提案される。
そして、点滴が効けば良くなる可能性はあるが、全く効かない場合は、最悪のケースもあり得る、と言われます。
勿論、これはあくまでも提案。
拒絶することは可能です。
入院となれば、一泊二万円以上のお金が掛かります。
それも、症状が落ち着くまで何日かかるか分からない。
そもそも、それだけお金を払っても、助からない可能性も十分にあるのです。
狭い酸素室の中で伏せている犬は、僕の方を見ようともしない。
ただただ、苦しそうに伏せています。
その姿を見ていれば――もう、何をしても駄目なんだろうな、と僕は思います。
それでも。
僕は迷った末――入院に同意します。
愛情の為、というよりも。
後悔をしない為、でしかありません。
かつて。
癌が発覚した時の、兄や父に対して。
僕は何もしてあげませんでした。
或いは。
自殺未遂を起こした友人に対しても。
虚言癖の末に自滅した社員に対しても。
僕は、何もしなかった。
ADHDである僕は、自分のことで精いっぱいであり、他人のことをどうこう出来る人間ではない。
それに。
兄には仲間がいて、父には妻がいて。
自殺未遂をした友人には家族がいて、自滅した社員にも親友がいた。
一人ぼっちの僕よりも、ずっと恵まれている。
彼らは、僕よりも、強者なのです。
だから、何もしない自分に対して。
なんて冷酷な人間だろう、という強い自己嫌悪の念はありますが。
もっとこうすれば良かった、というような後悔の念は、殆ど持てなかったのです。
けれども、その犬は。
親に見捨てられ、台湾に残されてしまった末に。
不注意ADHDの僕などに世話をされている、僕よりさらに小さな存在なのです。
そんな弱者を、見捨ててしまえば――流石の僕も、後悔をするだろう。
そう、僕もはっきり思い。
その犬の入院に同意したのでした。
まあ、数日後には息を引き取るのだろう。
そうなれば、もう食費や薬代もかからなくなるし。
毎日の散歩も不要になる。
随分と楽になる。
そんなことを思いながら、静かに、その犬の最期の日を待っていました。
けれども。
翌日見舞いに行った時には、その犬は顔を上げ。
二日後には、前足で、酸素室の扉をひっかき始めるのです。
――外に出せ、外に出せ、と。
そして三日後、立ち上がり、しっぽを振り、僕に向かって吠えるのです。
――早く出せ、早く出せ、と。
――驚いた、と獣医は早口で言いました。
ここまで劇的に薬が効く例なんて、余り見たことがない。
明日になってもこんな感じだったら、退院しても良いだろう、と。
そして、翌日。
開いた扉から、その犬は飛び出して来て。
僕の腕の中で、さあ家に帰ろう、さあ家に帰ろう、と喚き散らすのです。
そして、帰り着いた僕の家で。
流石に暫くはおとなしくしていたものの。
やがて、散歩を催促し始め。
どうでもいい小物を盗むようになる。
すっかり元通りに戻ったのです。
一か月後の検診でも。
心肺機能に関しては、悪くない状況を保っている、と言われます。
ただし。
利尿剤を多く与えているせいで、腎臓の機能はかなり低下してきており。
今後は、そちらの障害が出ることは確実だろう、と言われます。
やがて体じゅうがだるくなり、食事もとれなくなり、衰弱して行くだろう、と。
どうすればそれを防げるか、と尋ねると。
利尿剤を減らすことが第一だが、でも、それをすると、今度は心肺機能が怪しくなり、また呼吸障害を起こしかねない、と答えられます。
どうしようもない。
何かを治したら、他の場所が悪くなる。
年を取るというのは、どういうもの。
それを受け入れよう、と思いますが。
毎日、大量の薬を飲みながら。
時々眩暈をおこしてよろけたりしながら。
元気に散歩をせがみ、小物を盗む犬を見ていると。
徐々に、複雑な気持ちになって来る。
――そして、そんなある日。
僕は、一つの記事を目にします。
――台湾政府による一部業種への営業停止処分が、解除される見通しである、というもの。
塾業界も、リモート授業以外、つまり、対人授業を復活させられる、ということ。
それを目にした僕は。
その瞬間に、決意をするのです。
――日本に帰ろう、と。
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