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血まみれの来訪者 【ADHDは荒野を目指す】

 3-23.

 ルワンダの虐殺記念館を後にした僕は、宿に戻り、考えます。

 虐殺館を見れば、人生観が変わる――かつてそこを訪れた旅行者から、そんな風に聞かされていましたが、どうやらそんなことはなさそうでした。

 チベットで見た、鳥葬と同じです。
 ただ衝撃的な情景であるのは確かですが、その度合いは、グロテスクな動画や映画を見た時と大差はない。

 自分自身のことに精一杯であるADHDの僕にとっては、それが目の前にあろうが、モニターの向こうにあろうが、大きな違いはないようでした。

 ただ――死臭としか言えないその匂いだけは、確かに鼻の奥には残っていましたが。


 それでも、遠いアフリカの中央、信じられないような光景が広がる、そんな場所までやって来た――その事実は、僕に納得感を与えました。
 もう旅は十分だろう、という。

 納得感というより、諦観と言うべきかもしれません。

 どんな場所まで行こうが、ADHDである僕という存在が、大きく変わることはないんだな、という。


 そして僕は、いよいよ帰国を決意します。

 ルワンダは小国で、日本大使館すら置かれていません。
 ルワンダの空港から日本へ向かう直行便は、勿論存在しません。
 三回ほどの乗り換えをしなければ、日本までは辿り着けません。

 しかも、ルワンダの空港はそもそも航空便数も少ないし、飛行機が良く落ちるとも聞く。その上決して安くもない。
 それぐらいなら、航空便の多い近くの空港まで、陸路で移動した方がいい。

 それなら、そこまで来た道を戻ってケニアに帰るのではなく、別の道を通ってタンザニアまで行こう。

 そう決意した僕は、早速バスに乗ります。


 ルワンダは小さな国で、アフリカの道はアジアのそれよりもずっと整備されています。
 あっという間に国境を越えてタンザニアに入ります。
 しかし、国境から首都ダルエスサラームまでは、かなりの距離がある。直行バスなども存在せず、乗り継ぎ乗り継ぎ向かわねばなりません。

 途中、電気の来ない村で数泊する等の苦労はありましたが、それでも、国境を越えて一週間、首都近郊の街、アルーシャ行きのバスに乗り込むことが出来ました。

 しかし、人と荷物でぎゅうぎゅう詰めのバスに四十八時間、かなり過酷な移動です。

 けれども、その道中かなりの嬉しい驚きがありました――バスは道端で次々客を拾うのですが、その中に、知人の顔を見つけたのです。
 かつてエジプトで知り合った、同い年の日本人男性、福本です。

 とんでもない偶然の再会に驚きつつ、まんまと隣同士の席を確保した僕達は、かなり安堵します。

 一人旅というのは、自由な旅が出来て快適なものです。
 ただ、長距離移動中だけは、どうしても不自由になります。

 何せ、食事やトイレに行くのにも、全ての荷物を持って行かねばならないのです。どこかに残しておくと、盗まれる恐れがある。けれども、そうやって何も残さず席を離れると、折角確保したそれを他人に取られてしまいかねない。
 勿論、夜間も余り深くは眠られません。その間に物を取られる恐れはある。
 荷物を膝の上でしっかり抱きかかえながら、ウトウトするぐらいしか出来ないのです。

 けれども、道連れがいるとなると、途端に全てが楽になります。
 荷物を置いたまま気楽にトイレに行けるし、気楽に食料や飲料の買い出しに行ける。熟睡してもいいし、暇潰すの会話がいつでもできる。

 協調性がない故に一人旅を好む、僕ではありますが、こんな場所まで来るような福本もまた、僕と大差ない人物で、それなりに気も合う。
 僕達は楽しく旅をし、ある日の夕方、無事にアルーシャへと降り立ちました。

 その街は、キリマンジャロ山がきれいに眺められる場所であり、かつ、近くの国立公園へのツアーが発着する場所でもあります。
 つまり観光客が良く出入りする場所。
 僕達はすぐに、快適な宿と、まずまず悪くない食堂を見つけ出すことに成功します。
 ここなら暫く過ごせるな、と思います。

 けれども、同い年なのに僕よりはるかに体力もある福本は、宿に荷物を下ろしたその足で、翌朝出発となる、ンゴロンゴロ国立公園ツアーへの申し込みをしてしまいました。

 勿論僕は同行しません――国立公園のツアーはもう懲り懲りです。

 しかし、このままだと、二人部屋に一人残される。それはお金が勿体ない。
 どうせなら、同じタイミングで僕も街を出ようと決めます。 

 とはいえ、首都ダルエスサラームまで急ぐのも避けたい――一週間ほど、休みなく厳しい移動を続けて来たのですから。
 そこで僕は、数十キロしか離れていない、モシという観光都市へと移動することにしました。
 

 翌朝、ツアー会社の車を待つ福本に別れを告げ、僕はバスに乗り込みます。
 数時間でモシに到着。
 バスターミナルのすぐ前にあった宿に入ります。

 キリマンジャロがはっきり見える、緑の多い綺麗な街。
 部屋も清潔、食事もおいしく、しかも受付の女性が非常に美人でフレンドリー。

 最高の場所だ、と僕は思います。
 日本に帰る前に、旅の疲れを取るのには最適。
 そう思った僕は、そこで暫くのんびり過ごすことに決意します。

 ――ところが、そんな平穏な気持ちは、数時間後ものの見事に打ち破られます。

 その夜、部屋の扉を激しくノックする音。

 僕は驚き、怯えます。
 何だろう? もしかして、強盗か何かか?
 
 けれどもすぐに僕は、扉の向こうから、記憶にある声が聞こえることに気付きます――福本の声です。

 今朝別れた福本が、どうしてここに? 彼は今、国立公園にいる筈では?

 それでも、とにかく僕は急いで扉に向かい、それを開け放ちます。

 扉の向こう、廊下の暗がりの中には、確かに福本が立っていました。


 ――血まみれで。

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