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異彩を放て!

世の中には〇〇問題が多いね。

大きなところでは地球温暖化問題があり、日本では8050問題や少子化の問題がある。

そして僕には「やりたいことが多い問題」がある。


この問題は、時間がない問題とお金が足りない問題が融合して面倒なことになっている。


え?
そんなもん誰でもあてはまる?
そう、誰でも抱えている悩みを さも重大なことのように発表できるのがエッセイのすごいところなのだ。

さて、僕のやりたいことは誰も興味がないので割愛するが、noteで異彩を放ちたい。


言うのかよ!


とツッコミをいれたそこのあなた。
そら言わないと話が進まないでしょ。

noteは承認欲求を満たす場。
それは異彩を放つことで満たされる。
目立ちたいわけじゃない(たぶん) ただ異彩を放ちたい。

noteで異彩を放つとは、すなわち唯一無二。
はてさて そんなことは可能か。

それは定義によるだろう。
まったく同じ文章など存在しないのだから、誰しもが唯一無二。

では異彩とは?
同一ジャンルのクリエイターがいない状態だろうか。それとも同ジャンルでも他者とは画一した存在だろうか。

しかし、全員が唯一無二だとして 全員が異彩を放っているのかというと そんなことはない。

異質なクリエイターはいるが 皆まじめで実直に記事を書いている。(のように見える)
毎日ふざけているのは少数派。

僕はnoteで異彩を放っているだろうか。
異彩でなければ何を放っているのだろうか。

それは僕には判断できない。
僕が決めることではない。
第一回note異彩放ちトーナメントがあればいいのに。

文章が上手じゃなくていい、難しい言葉も使わなくていい、ただ異彩を放てばいい。


え?
抽象的すぎてわからない?
異彩を放つとは得てして抽象的なモノなのだ。
と意味不明な解説をいれるこのくだりは異彩を放つというよりは、面倒くさいヤツといった感じか。


異彩を放つって難しい。
たぶん狙ってだせる類いのモノではない。
内面から滲み出るモノだろう。
でも難しいからこそ挑戦のしがいがあり ロマンを感じるのだ。

異彩を放つためにはどんなトレーニングを積めばいいのか考えてみよう。

滝にうたれる?
山にこもる?
針の上に座って瞑想する?

ええい!
こんなことで異彩を放てるなら苦労はないわ!

書いて書いて書き抜くしかあるまい。

というわけで毎日投稿している。
異彩を放つための武者修行なのだ。
異彩を放つために仕方がなく書いてる。
べ、別に楽しいから書いてるわけじゃあない。

そのおかげか、noteを始めたころよりは異彩感は強くなっていると思う。自己評価は高めがいいよね。

おっと、大事なことを伝えて忘れていた。
なぜ異彩を放つのが良いのかということを。

ズバリ、読んでいて楽しいから。


せっかく読むなら楽しいか 身になる文章がいい。
ガッハッハと笑ってもいい、フフフと微笑んでもいい。

奇抜で意味不明ではなく、インテリジェンスでユーモアのある記事で異彩を放つ!

そこにシビレる憧れる。

深い意味はない。
ただそう思うだけ。

書く前に自分に問う 一味違う文章とは?


僕の内面を書き出すしかない。
僕のオリジナリティは僕の中にある。
しかし、どこまでいっても凡庸なボク。

だからその凡庸なオリジナリティにインテリジェンスとユーモアを調合して、異彩を放つのだ。

とりあえず異彩を放つことは決まりとして、noteでというのは規模がでかすぎた。

調子にのった。

まずはエッセイストの中で と限定しよう。
僕はエセエッセイストだけど、まぁ細かいことはいい。

さぁnoteのエッセイスト達よ。
異彩を放つエッセイで僕を魅せておくれ。

こうやって人の記事を読む時間が増えて「やりたいことが多い問題」が深刻化していくのだ。

やれやれ。

ではまた。

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