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知らんがな

エッセイをお届けしているクリエイター諸君。
こう思ったことはないだろうか。

「自分の書いたエッセイなんて他人からしたらどうでもいいことだよな」

と。

そんな卑屈な思考に囚われ
「知らんがな」って思われたらどうしよう…
スキもらえなかったらどうしよう…
批判されたらどうしよう…
そして下書きを書いたはいいが投稿するか否か迷う。


そんな見たこともない画面の向こう側の他人の「知らんがな」に翻弄されるクリエイター。

わかるよ。

めっちゃわかる。


僕の書くエッセイなんて人様のタイムラインに割り込むただの自己満足の塊なんだ。

図太い僕でもそう思うこともある。

でも安心してほしい。

note全体の94%ぐらい(ぜんけい調べ)は他人からしたら「知らんがな」記事なのだから。

でもそれでいいじゃない。

文字を書くことには色んな効能がある。

他人に認められることが全てじゃない。

100%自分の為に書いてもいいのだ。

他人の「知らんがな」をこっちも「知らんがな」で返してやろう。

「奥義・知らんがな返し!」


おまえの「知らんがな」の気持ちをこっちも「知らんがな」ってな具合でね。


相手がどう思うのか意識して書いていると疲れる。

疲れる文章を書いていても楽しくない。

楽しくないと続かない。

じゃー書く意味ない。

「読者を意識しろ」「ペルソナが〜」とかそんなアドバイスはどうでもいい。

知らんがな。


そりゃ収益が欲しいって人は戦略としてそういう「知らんがな」を拾っていく必要はあるだろう。

でも だいたいのクリエイターは趣味だよね。

中には趣味の皮を被った収益化予備軍もいるだろう。

僕は完全に趣味。

だから読者のことはあんまり意識してない。

いや、出来ない。

そんなに想像力が豊かじゃない。

強いて云うならそっち読者が僕のペルソナに合わせたらええやん」と思う。

僕のペルソナを気に入った人が読んでくれたらいい。

それが嬉しい。


この記事のような「お気持ち表明系記事」を揶揄する人もいるけれど、それこそ「知らんがな」である。

エッセイとはだいたいが「お気持ち表明系記事」であり お気持ち表明をカッコよく言ったのがエッセイである。

ちなみに僕はエッセイもペルソナも意味を具体的に説明しろと言われたら しどろもどろになるだろう。

完全に雰囲気で使っている。

でもそれで誰が困る?

そんなもん「知らんがな」である。

エッセイってお気持ちをズバッと表明してしまうとだいたい3行ぐらいで終わってしまうので色んな言葉で取り取り繕う必要がある。

この記事も要約すると

「人の意見を気にしてエッセイなんて書けるか!」

である。

1行だった。

人のことを気にしていたらエッセイなんて書けない。

自分のお気持ちに共感してくれる人を探す作業こそエッセイを書くということなのだ。


だから思う存分自由に書いて書いて書きまくるのだ!

暗くてもいい キモくてもいい エロくてもいい しょーもなくてもいい。

そして誰からも反応がなくてもいい。

反応がないから読まれていないわけじゃない。

誰かは読んでる。

僕はあなたのお気持ちを読みたい。

もっと内面を晒した文章を読みたい。

着飾らなくていい。

ドーンっと大盤振る舞いして欲しい。

プライベートの付き合いは腹の探り合い。

ここnoteでぐらい正直にさらけ出そうよ。

僕は真面目な感じでアホな事を書いている記事がスキ。

期待している。

ではまた。


え?

えらそうに何様だって?

そんなもんもちろん…


知らんがな。






次回予告(ウソ)

「ぜんけい お気持ち表明するもすぐに気が変わる」

の巻。

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