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勤勉と怠惰の攻防 未来からの助言求む

難しい事を目の当りにした時、人はなぜ考えることをやめてしまうのか。

不思議だ。

知らないことなんだから 知ろう という意欲が湧いてもいいのに。

なのに思考はシャットダウンしてしまう。

何も考えられない。

いきなりバカになったような気分になる。

こういう経験をした事がある人も多いのでは?

学生の頃、この現象が原因で授業についていけず 寝て過ごした人もいるだろう。

そう僕だ。

この授業は捨てた」と謎の決断力で、わからないことを理由に寝ていた。

そう ふて寝だ。

だって起きていても理解できないのだから眠って体力の回復だ。

合理的なようで、バカな思考。

なぜもっと知ろうという意欲を見せなかったのか。

過去に戻って耳元でささやいてあげたい「いい加減にしないとバカになるよ」と。

学生時代には気づきようがない 大人時間の希少性 について毎回のホームルームで全員で三唱して欲しかった。

大人になったら自由だ!と思っている学生諸君。
それはマボロシだよ。

好き嫌いに関係なく、強制的に勉強を強いられるスタイルは大人になってからは手に入れずらい。

でもこの重大な事実を学生に伝える術はないだろう。

だって経験する事ができないのだから。

知識として頭にあっても、現実味がないと行動できないのが人間のサガ。

また、将来についてリアルに想像する事ができないのも人間の愚かなところ。

過去の自分に、将来バカになるよ と伝えてもなんの影響もないだろう。

だって未来の自分は他人も同然であり、自分と同一視する事は非常に困難だから。

仮に今 10年後の自分が現代に来て「今すぐnoteの投稿を有料にしないと将来困ることになるぞ」と言われても、すぐに有料記事にシフトする事は難しいだろう。

それはなぜか。

行動を変えた結果の未来の意見がないからだ。

どうせ未来から助言に来るなら、失敗した未来の人間の言葉ではなく、成功している未来の人間の言葉を信じたい。

失敗した行動と反対の行動をすれば成功するという単純な話ではないのだ。

結局は現在の自分が頑張るしかない。

過去の自分も将来の自分も助けてはくれない。

さぁ動き出せ現在の自分。

行動の時だ。

さぁ難しい問題に立ち向かえ。

思考停止している場合じゃないぞ。

さぁさぁさぁ!

と自分を鼓舞してみたが、難しい本の内容が全く頭に入ってこない。

あぁ今日はいい天気だな。

勉強して賢くなって成功してもしなくても、この空は不変。

僕がどれだけ成功したとしても変えられる現実など微々たるもの。

費用対効果はどうだ?

その難しい本に立ち向かう時間は無駄じゃないのか?

自分の中の勤勉と怠惰が闘っている。

現在、怠惰が優勢だ。

怠惰:その本って今はまだ難しいんじゃない?理解できるようになるまで易しい本にしよう。

勤勉:いや、難しいからこそチャレンジして理解できない事を知ることも重要だよ。

怠惰:でも時間は有限だよ?無駄なことに時間を割いている暇はないはずだ。映画も見たいし。

勤勉:でも易しい本ばかりだといつまでも成長できないよ。たしかに映画はみたいけれど。

怠惰:映画からも学べる事はたくさんあるのでは?ほら、コーヒーを淹れたよ。

勤勉:たしかに映画はストーリー、演技、音楽、セリフなどなど勉強になることの宝庫だ。

怠惰:ね?一旦映画を見て、心を落ち着かせよう。ほら、お菓子も準備したよ。

勤勉&怠惰:さぁ映画をみよう!

怠惰は本当に人をダメにするのがうまい。

勤勉は押しが弱い。

こうして僕は映画を見ることに決めた。

このように内面での葛藤にも打ち勝つ事ができないのに、外部からの助言で改善できる事など殆どないのだ。

開き直ってやりたい事をやろう。

そして ふとした時に勉強欲が高まったら、集中して取り組めばいい。

我慢していいことなんでない。

自分を解き放て!

こうして日々自分を正当化して好きなことをしている。

そんな僕をダメ人間だと思いますか?

人間らしいと思いますか?

僕は人間らしくていいと思います。

ところで、成功した僕も失敗した僕も未来から助言にこない。

これは何を示唆するのか。

過去へメッセージを送る技術が確立されない。

もしくは、人類は滅亡しているかのどちらかだろう。

いや、もっと未来の自分にもっともっと未来の自分が助言しているので 現在の僕はまだ知らないだけかもしれない。

こういうしょーもないことを考えているうちに 僕は難しい本を読むのを諦めた。

ではまた。

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