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タマゴが先かニワトリが先か

タマゴが先かニワトリが先かという問いがある。

一旦は考えてみるけど、どっちでもいいよねと思う人が殆どだろう。

常識的に考えてタマゴが先だと思うのだけどどうだろう。

何もないところから突然ニワトリが発生する可能性はない。
でも別の鳥のタマゴから突然変異的にニワトリが誕生する可能性はある。

だからタマゴが先。

こういう問いは色々と汎用性が高い。

僕が最近考えるこの問の別バージョンは、文章を書きたいが先か、キーボードを叩きたいが先かのどっちという問いだ。

文章を紡ぎたいからキーボードを使っているのか、キーボードを使いたいから文章を書いているのか。

これは難しい問いだ。

そら文章を書きたいからですと胸を張って言いたい。

でも次々とキーボードが欲しくなるのはどういうことなのか。
そして実際に購入してしまっているのはどういうことなのか。

文章を書くだけならキーボードなんてひとつでもあれば事足りるはずだ。

過去の文豪はどうだったのだろうか。

僕は紙とペンで書くことに憧れないではないけれど、漢字は苦手だし、字は汚いしでとてもチャレンジすることはできない。

文豪も次々ペンが欲しくなったのかな。

そうなると文豪も文章を作りたいのではなく、ペンで書きたいだけだったのかもしれない。

でも僕は文章を書きたいからnoteを書き始めたのだから、文章を書きたいが先のはず。

でもキーボードをカチャカチャするのはとても楽しい。
中毒性がある。
長文をミスなく入力できたときには得も言われぬ快感がある。

正直どっちでもいいじゃないかとは思うのだが、はっきりさせたい。

キーボードを打ちたいからとなると、これからもキーボードを買い続ける日々になってしまう。
魅力的な未来だ。

しかしそれでは経済的に困ることになる。

キーボードという付加価値がなくても、楽しく文章を書くという人になりたい。

自分でもどちらが先かなんてよくわからない。

日によって違う可能性もある。

どちらか不明ならば、自分で決めればいい。
僕のことなんだから人に決められるわけがない。

だから僕は文章を書きたいが先ということにする。
現状はキーボードに浮かれているかもしれないけれど、始まりはきっと文章を書くことにあったはずだ。

だからどちらが先かと言われると文章ということになる。
僕にとってのタマゴが文章を書くことで、ニワトリがキーボードを叩くこと。

文章を書く為の道具を楽しむこともまた、文章を書くことを楽しむことになるはずだ。

タマゴが先かニワトリが先か問題はよく話題になるが、結論としてはどうでもいいよねとなるので、このnoteの結論ももちろん、どうでもいいよねとなる。

こういうどうでも良い文章もたくさんあるのがnoteの懐の広いととこだ。

打っている本人はキーボードをたくさん叩けてご満悦だ。
自己満足度100%。

ここまで読んでくださった方、ありがとう。

一度自分の行動をタマゴが先かニワトリが先か理論で考えてみると案外面白いし、意外な発見があるかも。
でも結論は結局はどっちでもいいに落ち着くので暇な時に試すことを勧める。

ではまた。




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