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30年後にて待つ

疲れたかもしれない。

仕事に?
育児に?
noteに?
それとも自分自身に?


いいえ。

読書に。


読んでも読んでも読みたい本が尽きない。

なんだか疲れてしまった。

終わりのない読書の階段。

楽しみにが終らないというのはいいことだろうか。
これが実はかなり疲れる。
どんな楽しい事も終わりがあるから楽しめる。

10時間の映画があったらどんな名作でも疲れるだろう。

ワンピースを1巻からぶっ通しで最新刊まで読んだらきっと疲れる。

キャンプも七泊とかだったら疲労困憊だ。


え?
キリのいいところで自分で止めろって?

あなたそんな器用なことができるの?

僕はどうしても目先の楽しみを優先してしまう。

散髪に行かないといけないのに。
やること散髪があるのに。
今日を逃すと当分いけそうにない。

でも読書を止められない。
あと映画も見たいし。

あーあれもこれもそれもどれも…。
このひとり押し問答にも疲れた。

こうなったら本を読んで癒されよう。


それっきゃない。

本を読んでいると〇〇を読んで影響を受けた、〇〇を読んでいないと〇〇は語れない。

なーんてロジックをよく見かける。

僕は古い作品にはあまり触れてこなかった。

ここでいう古いというのは僕が生まれる以前の作品という事だ。
小難しく古くさいというイメージが付きまとう。

でも読みたい。
読んでおきたい。

最近はオーディオブックでそういった古い名作といわれる作品が聞ける。

良い世の中になった。

現代の本だけでも読み切れないのに 古い作品にまで手を伸ばした僕を待つもの。

そう疲れ。


なんだかまた疲れた。
おかえり疲労。

こんな状態で読書を純粋に楽しめているのか。
疑問に感じてきたぞ。

話の続きは気になる。
ハラハラドキドキワクワクしている。

だから楽しめてはいるはず。

でもここにきて 古いということの悪いところがでる。
古いのに 現代まで残っているのには理由がある。

面白いのだ。


そりゃ僕はすでに虜だ。
楽しいの面白いではない、興味深いの面白いだな。

「実におもしろい( ・`ω・´)キリ」

ってやつだね。
ガリレオの湯川先生のヤツ。

こりゃ散髪なんて行っている場合ではない。
作品に触れている方が有意義だろう。

ねぇそうは思いませんか。

僕はそう思います。


ではここで僕が散髪に行くか行かないか多数決をとりたいと思います。

行かない方がいいよ〜って人は手を上げて。


ふーむ。


では言った方がいいよ〜って人は手を上げて。


ほうほう。


なーるほど。


多数決の結果 僕は散髪に行くということになりました。
パチパチパチパチパチ

さっぱりとして来るとします。
こういったイベントがないと本を読む時間を止められない。
困ったもんだ。

それにしても想像力が豊だな昔の人は。

古いSFを読んでいるが、空飛ぶクルマや本物ソックリの動物が出てくるのに 今ではあたりまえの携帯端末スマホは出てこない。

電話はテレビ電話となっているが固定回線である。
電波じゃない。

さらに交換手が間に入り 相手に取り次いでもらっている描写が多い。

令和の今、各個人がスマホのような板状の端末でどこにいても連絡が取れるといのは昔のSFをはるかにしのぐSFっぷりなようだ。

現代との違いを見つけ 当時の小説家のたくましい想像力を意識して読む古いSFというのは中々味わい深い。


僕が今から30年後ぐらいの未来の話を書こうとしたとき。

どこまで想像できるか。
そんな挑戦もしてみたい。

答え合わせは30年後。


ロマンがある。
30年後に僕がそのことを覚えているのかが一番の課題といえる。

でもそんなロマンを考えていたら なんだから疲れがとれた気がする。

読書以外に未来に向けて妄想をする仕事ができたからか。

これなら散髪中にも仕事中にもできるぞ。
僕を邪魔するものは何もない。

やっほい。

はてさてnoteは30年後にも残っているかな。

待っていろよ未来の僕。
そこで過去の自分の叡智えいちを味わうがよい。

黒歴史になっていないことを祈る。

ではまた。

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