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中学時代、私は足が特に速かったため、サッカー部のレギュラーとして活躍していた。だから高校でも同じようにレギュラーに慣れると思っていたが、特待生とレギュラー争いをした結果、3軍に配置された。1軍でも2軍でもなく3軍だ。

3軍がすることはサッカーの練習ではない。今の時代だとありえないと思うのだが、1軍選手のためのグラウンド整備、ユニフォームの洗濯、スパイクの整備などなど、雑用ばかりであった。もちろん、それらが終わった後で、部活動の練習以外の時間でサッカーの練習をするのは許されている。だから私は、夏のインターハイの陰で行われていた県の新人戦のレギュラーには入り込めるだろうと思い、一生懸命に練習をした。なのに、そこでもレギュラーを勝ち取ることができず、すっかり意気消沈したのだ。

そのことを、私は家族に言うことができなかった。母親も私に対して「高校でもレギュラーになれたの?」とは聞いてこない。私はいつ聞かれるのかとハラハラしていた。だがそれと同時に、私が「レギュラーになれたよ」と言えば、母親が喜んでくれるのはわかっていたので、その顔も見たいという気持ちもあった。だから、つい嘘を言ってしまったのだ。

「お母さん。俺レギュラーになったんだ」

母親が試合を見に来ることもないから大丈夫だと思ったのだ。もちろん嘘をついているので、後ろめたい気持ちはある。けど、いつ聞かれるんだろうという不安からは解消されたので気持ちは楽になった。それに、私が嘘をついたことで、母親も喜んでくれたから。

だが人生はそんなに甘くはない。私が母親に話す少し前に、妹から私がレギュラーから落ちたことを知っていたのだ。それは私が嘘をついて数日後、妹から聞いた話だ。すごくショックだった。だけど、それでも母親は私を問い詰めなかったし、仕事で忙しいのに、いつものように私のためにお弁当を作ってくれた。「ありがとう」とは言えるけど、嘘をついてごめんなさいとは言えなかった……。

やがて私は、このサッカー部にいてもレギュラーになれそうになかったので、サッカー同好会に移籍した。ここだと雑用もしなくていいし、厳しい練習もない。それを母親に報告した。そしたら――

「そんなに簡単に逃げるんじゃないの!」

と、こっぴどく怒られた。私は、そんな風に怒られるなんて思っていなかったので驚いた。それに、ボロボロになっていたスパイクを使っていたので新しいのが欲しいのに言い出せなかった私に、母親は新品のスパイクを渡してきた。ここまでしてくれるなら、私も気持ちを入れ替える必要がある。

私はサッカー部に戻り、ポジションは変わることになったが、2年生の終わりにはレギュラーをつかみ取ることができた。

これまでも色々と母親を悲しませるようなことをしてきた私だが、母親は嘘をついた私を責めるのではなく、愚痴をこぼすのでもなく、楽な方に逃げた時だけ私を叱ったのだ。

今では私も親になり、母親も老け込んでいる。だが自分の子どもたちと実家に顔を出した時に、「将来のためにしっかりと勉強はしなさいよ」と優しく言う母親を見るたびに、あの時の怒った母親の顔を思い出す。

この間、久々に当時のスパイクを履いてみたら、靴底がはがれてしまった。私がサッカーをすることはないので、そのスパイクをまた履くことはないのだが、修理をして今も飾っている。

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