水木団子さんの大晦日

大晦日と書いて、「おおつごもり」と読むのが好きである。

以下引用

「つごもり」は「月が隠れる日」、すなわち「月隠(つごもり)」が訛ったもので、毎月の末日を指します。 1年の最後の「つごもり」なので、「大」を付けて、12月31日が「大つごもり」と呼ばれるのです。


古い言葉らしい。
なんか、とても昔から大切にされているような感じがするし、荘厳華麗で柔らかい音の響きが好きなのである。

「ご」と言う濁音が入ってる所に、深さと言うか、過去からの時間の経過と言うか、静かで厳かな重みみたいなモノを感じている訳である。

どーだ。凄いだろう(笑)
何が❓何処が?
ドコにも威張る話は無いのだけれど。
感覚を刺激するものはあちこちに散らばっている。
 自分だけが感じている小さな感覚を忘れたくないと思っている。
出来ることなら、その感じた感覚を(日本語正しい?わかんない。。)なるべく言語化したいのだけれど、コレが思いの外難しい。
言葉の意味が分からないと当てはまらないし、そもそもその言葉自体を知らなかったりする。

だから、あたしは自分の感じた感覚を言語化して言葉を覚えていく。

それはさておき。
本日は2023年12月31日。
後数時間で今年が終わり、新たに2024年1月1日、お正月になる。

ただの時間の経過だけじゃなくて、おおきな節目なんだと思う。

今日もゆっくり起きて、コーヒーを飲んでから神棚と仏壇とトイレの掃除をした。

神棚を掃除したら、随分と輝いたように思う。
意識はしていなくても、少しづつ積もった埃や汚れが何時でも自分の目に入っていたのだと思う。

埃が積もる度に、古さや汚さを感じて、微かに微かに、自分の心までも濁らせていたように思う。

12年前に起業した時に手に入れた御札と、伊勢神宮で手に入れた御札が、とても汚れていた。
神様の依代が汚れててもずっと放置してきたのは、まさに自分。

今回、それ等を全てお焚き上げする事にした。
そして、人生初の晦日詣でをして、真新しい御札を用意した。

 神棚掃除の時も、長男でも分かるくらい輝いていたのだけれど、真新しい御札を捧げたら、随分と神々しくなった。
多分、年神様が来てくれているのかもしれないな。

と、想像するのもいと楽し。
良い気分なのである。

御札は家内安全とお稲荷さんの2枚。計1600円也。
お得な神様だ。ありがたい事だ。

なんで毎年替えなかったかなぁ。
起業の時にお祓いと祈念もしてもらってた御札だったから。
伊勢神宮まで行って手に入れたから。

と、何かにつけて「勿体ない」と言う理由を出しまくって、ソレを染み込ませた御札にしてしまったのもやはり、このワタシ。

神様の御力も「勿体ない」って出し渋らせていたかもしれない。

もし、あたしを見守る神様なら「えー、だってーまだ交代出来ないんでしょ?んじゃあ今回は力抑えるねー」とか言いそうだもん。

毎年替えていたら、「おー!今年のうちにパワー送るよ!受け取ってな!使い切ってな!」って毎年新しい神様パワーをくれそうだもんな。

やっと、こういう心持ちになれたわけです。

神社帰りにスーパーに立ち寄って今夜の刺身なんか買いに行ったら、店内BGMが第九で、なんかウキウキしたし、昨日は入口付近にあった品物が店内1番奥の鮮魚コーナーに移動してあって、お店の店員さんの頑張りが凄ェ!と思いましたよ。

正月用品は今日全部売り切るぞ!年明けは入口付近にお土産品を置いといて、年始参りに不自由させないぞ!
って言う商売魂?みたいなのを感じた。

仕事って、人の想いで出来ているんだね。となんか、ホッコリ。

そんな気分良い買い物をしながら、良い年越しだなあ、
としみじみしたのである。

あら?
こんな気持ちは何年ぶり?

えーと。。。
あん時があーで、こん時はこーで。。。

と思い出したら、12年ぶりですわ。
この12年間、大つごもりはただの時間の経過に過ぎなくて、1年をろくに振り返る事も無く、人が休みの時は稼ぎ時!
もう人並みの平和なんて手に入らないとやさぐれていたのだよ。

そう思ったら、
お焚き上げに出した御札さん達は
やさぐれるままだったあたしをずっと見守ってくれていたのかもしれないなぁ。
薄汚れて澱んでいくだけのあたしの想いを吸い取ってくれていたのかもしれない。

ありがたいな。
そういえば、心は澱んで生きる意味も分からなくなったりしだけど
特別大変な事は起きてないもんな。
そして、復活出来る元気もあるもんな。

来年は楽しく生きられそうだな。

と思う訳です。

善き哉善き哉
どうぞ皆様息災で。

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